筋トレして感じたこと/「負荷」は、人によって耐えられる量が異なるのではないか。

今回は、スポーツジムで筋トレして感じた「『負荷』は、人によって耐えられる量が異なるのではないか」を書いていこうと思う。

おそらく私だけではないと思うが、そもそも勉強や仕事、筋トレ、体調が悪いときなど何かしら「意識してやること」があるはず。

 

 

筋トレは、鍛えたい部位を意識する

筋トレは、鍛えたい部位を意識して取り組むことで、トレーニングの効果が得やすいようだ。


引用:Sports navi

そして、私も実際にスポーツジムで筋トレしたときに、鍛える部位を”意識しなかったとき”と”意識したとき”では、部位への負荷が異なった。

意識しないでやると、体を動かしているので呼吸がきつくなるけど、胸筋を鍛えるトレーニングなのに胸筋には負荷がかからず、肩の後ろ側が疲れてきたりする。

 

「質が良い」は目の前の課題に「意識を向けられている状態」ではないか?

筋トレは、鍛えたい部位を意識し、回数をこなすことて筋肉が鍛えられ、筋肉が肥大していくと思う。

また、鍛えたい部位を意識し刺激を与えることで、ストレス発散にもつながるのではないか。

なので、「意識しながら取り組める」量をこなす、というのは、質を高める考え方になると思うのだ。

 

ただ、そうなると、「軽い重さをやり続けることになり、刺激が得られなくなるのではないか、筋肉が付きにくくなるのではないか」と考えてしまう自分もいる。

しかし、”徐々に”重さを増やす・負荷をかけていくことで、耐えられるキャパが増え、気が付いたら重量だって増えているはず。

ベンチプレスをやるのに、最初は7.5kgの重りだったのが、1.25kg増やし8,75kgに。

さらに1.25kg増やし10kgに。

 

いくら部位を意識しても、重さに耐えられてくると負荷が小さくなってくるので、その時に部位を意識できるほどに重さを増やせば負荷がかかるはずだ。


引用:Sports navi

 

これまでの筋トレへ取り組むマインド

これまでの人生で筋トレをやってきているが、その時に、どんなことを意識していたのか、というマインド面を振り返ってみたい。

 

「自分を追い込む」「効率よく」

私は、これまで筋トレをやってきたが、どうしても「自分を追い込む」「効率よく」ことが筋トレにおける納得感や満足感、そして筋肉を刺激する負荷を生み出すと思っていた。

私は、学生時代に野球に携わっていたこともあり、特に、中学生時代は地元のクラブチームにて11月~12月に冬季練習があり、毎日のように筋トレや走り込みをやっていた。

 

その時に考えていたことは…

・手を抜かない
・自分に厳しく
⇒負荷をかける為に、重量を自分にとって「しんどい」と思う重さに設定し、限界突破しないとダメだ。
妥協は許されない!
・指導者や選手から目を付けられないように、ちゃんとやらないとダメだ
⇒当時、指導者からケツバットやビンタがあったので、目を付けられたくないと思っていた。
また、中学2年の夏以降、キャプテンを任されたこともあり、「背中で示さないとダメだ」と思い、「ちゃんとやらないとダメだ」と考えていた。
・「限界突破」「自分で自分の限界を決めない」
⇒この言葉をそのままそっくり捉え、限界突破するために、自分の限界を作らないために、自分に負荷がかかるようふんばっていた。もがいていた。

 

といったことを考えており、毎日の練習終わりでは、筋肉に刺激を得られた、筋肉が太くなる、といったことは考えておらず、とにかくその日の練習で自分をメンタル的に追い込めたこと、そして自分を追い込む過程で量もこなしていたので、筋疲労もあり納得感・満足感を感じていた。

 

「効率よく」終わらせる

私は、2023年12月末~2025年7月末まで会計系の社会人コミュニティへ所属していた。

2023年12月末~2024年9月末頃までは、筋トレをやっていたが、この時は効率の良さを重視し、下記のような一定時間内にいくつもメニューがあり、実践と休憩の時間が決まっている動画を視聴しながら取り組んだ。

そうすれば、1日の中で勉強など別のことにも時間を割けられると考えていたのだ。

このようなトレーニングは、動画に併せて腕や上体を動かすので、鍛えられることはできていたので、トレーニングができたことへの満足感や納得感があった。

 

 

自分の心は満たされない

今振り返ると、本当の意味で、自分の心は満たされていなかったと思う。

中学校時代、社会人での筋トレは、どちらも「タスクを終わらせること」として筋トレを捉えていたからだと思う。

本来の筋トレの効果を得ることより、「自分が”必要だと思った””やったほうが良い”と思ったことをやり終えた」ことに酔っていた。

しかし、筋トレそのものの効果を得られていない。

・体を強くする
・ストレス発散

その時々の自分の心が満たされるまで、「鍛える」ことへ意識を向けられていなかった。

 

※筋トレの効果(メリット)

筋トレはメリットだらけ?その効果とデメリットの解決法もあわせて解説
筋トレはメリットだらけ?5つのメリットと意外なデメリットもご紹介!

 

他のことでも「意識できる負荷」が必要なのではないか。

筋トレ以外にも、「意識できる負荷」が必要なのではないか。

私の場合で言うと…

・仕事:経理として、数字を作るために、正確に進める。
・勉強:簿記学習なら、簿記の考え方とは。管理可能費とは。講義の論点を思い出しながら解く。

 

「意識すること」で体や脳に覚えさせる。それが無意識にできたり、脳に負荷が足りない(物足りない)と感じたら「意識し続けられる程度に」負荷をかける。
(問題を解くときに時間制限を設けるなど。思いつかないならchat GPTを活用してアイデアを引き出すのはあり。)

これらを繰り返す中で、自然と耐えられるキャパが広がり、ワンランク上の仕事などに挑めていくのではないか?

最後に:歩幅は人それぞれ

筋トレなら、重い重量を上げられたらカッコイイと思うことがあるし、半年や1年といった速さで簿記1級に合格できたらいいけど、何かを得るまでの歩幅は人それぞれ。

その歩幅は、文字や言葉では感じ取れない、経験しないとわからない負荷が待っており、それに耐えられる量は人それぞれ異なる。

言葉では、「目標は△△、やる目的は〇〇」と言ったところで、一般的な量と自分が本質的に求めている量には乖離がある気がする。

いきなり重量が重いとケガする。

「一般的な量はこの程度だ」という発信を目にするし、実践しようと試みたことがある。

それを実践することは可能だったが、目的を見失い、「タスクをこなすこと」で精いっぱいになってしまっていた。

そうなってしまった経験があるため、「取り組む上で、その対象となることに意識を向けられる量」から始め、徐々に負荷をかけていけばいいと思うのだ。

最初は、周囲や自分の理想と比較すると物足りないが、それで十分だったりする。

牛歩で進みが遅いことに、不安を感じることだってあるだろう。

しかし、それで十分だと思う。人は変化が苦手だけど、好奇心や興味関心、といった感情を持っている分、少しずつであれば変化ができるし、変化している。

だからこそ、歩幅は人それぞれで良いのではないか。

 

ps

記事を書いてみると、筋トレって人生そのものだと思った。

また、効率の良さや自分を厳しくすることって時には「心の感覚が失われていく」気がした。

自分の頭や心に浮かんできた考え・感情を自分で遮っている感覚。否定している感覚。

仕事など効率よくやらないといけない時ってあるけど、そんな状況と「本音の自分」をどう折り合いをつけていくのか。

今後の課題だと思う。

 

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