何かに煽られている自分。情報の受け手の受け止め方次第。

私は、勉強しなきゃいけない、副業をやらないといけない、成長しないといけない、と思うことがある。

この状態に対して、私は「何かにあおられている状態」だと感じる。

 

 

YouTubeや本、ニュースサイトでAIやIT技術の発達により、仕事が無くなる、その職種で必要とされる人が減っていく、といった趣旨の情報を見かけることがある。だから、「AIやITを使いこなそう!」「IT以外の分野でも勉強は必須だ!」といった趣旨の行動を起こさせる言葉を見聞きする。

また、給料は上がりにくい、という経済的な・家計につながる不安を感じる情報だって見聞きする。そして、副業をやったほうが良い、とされている。

そんな情報に触れると、「確かに!今はAIを勉強しないとダメだよね!」、「今お金を稼げるようになっていないと、結婚したときに苦労するだろうな!」と前向きにとらえている自分がいる。

そして、手に職をつけたり、能力アップしたりしなきゃいけないと思ってしまう。お金を稼がなきゃいけないと考えてしまうのだ。

ただ、その熱が冷めたときに、ただただ煽られて、能力アップしないといけないと思わされていないか?と思う自分がいる。

 

 

私は、勉強することも副業することもどちらもやることは非常に良いと思っている。
むしろ、人生をより豊かにするには必須だと思っている。

勉強すれば、見える世界、感じる世界が変わってくるはず。
副業をやれば、1万円だけでも稼げれば心の余裕が生まれたり、今まで我慢していたことにお金を使えたりする。

 

でも、お金を稼ぐことだったり、能力を上げる、知識をつける、経験を積むことって自分がやりたい、自分が自分の将来像を考えた時に必要だと思っている、と自分主体で取る選択だと思う。

自分の好奇心でやるものだと思うのだ。

出だしは、「なんとなく勉強してみたい」「なんとなくお金につながることをやってみたい」と思って、例えば講座へ月1万円課金して実際に取り組んでみる。
積み重ねていくうちに、「これは面白いな」「これは今やれば将来が楽になる!」と考えられ、いずれは「将来は独立してみたい!毎月50万円稼ぎたい!」と行動する中で、徐々に目標が定まっていくのではないか。

もし勉強していることが作業になっていたり、タスク処理になっていたりしていると、それは「やらされている」になっているかもしれない。

そんな時に、「なぜ今自分はこれをやっているのか」と立ち止まって問いを立てられると、自分の方向性を再確認できるかもしれない。

私は、必要な時に必要なタイミングでその人のやる気が出てくると思っているので、やろうとする気が出てこないなら、その人の生き方や価値観にその取り組んでいること自体が不要だと考えている。

今後も煽られることがあるだろう。でも最後に選ぶのは自分だ。好奇心から始めた一歩が、やがて自分の未来を形づくる。だから情報に振り回されるのではなく、情報を味方にして、自分の軸で歩んでいきたい。

 

ps

「煽ること」が必ずしも悪いとは思わない。
時には背中を押すきっかけになり、注意喚起にもなる。

ただ大切なのは、情報を受け取ったときに「自分はなぜこれをやるのか」と立ち止まれること。
煽りに動かされるのではなく、自分の価値観や未来像に照らして納得できる選択をすることだと思う。

情報は発信者の意図で色づけされている。だからこそ、受け手がフラットに受け止め、自分の軸で判断できると、煽りも力に変えられるのではないだろうか。

 

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