「目的を持つ」はほどほどが良い

私は、気が付いたら悩んでいる時がある。

 

 

例えば…

・トレーニングジムにおいて、フィットネスと筋トレ、どちらをメインに1日のスケジュールを組むのか。

⇒私は、この時、自分がそもそもスポーツジムへ行く目的を考えた。

ストレス発散+体力維持だと考えた時に、筋トレして重い重量を挙げられるようになったり、そのことでのパンプアップが自分に適していると考えられた。

これらって「歯を食いしばる」行為が出てくることがあるので、そこに爽快感というか、「ふぅ~頑張った」みたいなのが出てくる。

私は、こんな感覚を求めているし、イメージしているのかもしれない。

 

とは言え、フィットネスを全くやらないのかというとそんなことはない。

筋トレをやるのに準備したり、休憩時間だったり、筋トレをやっていくと自然と短くなっていくように感じるので、そうなると自然とフィットネスをやれる時間も生まれる。

フィットネスをやることで、心拍数が上がり、心肺機能が上がる気がするので、1種目だけでも十分自分にとってプラスになると考えている。

 

こんな感じで目的を考えられると、そこから自己整理でき、妥協点が見いだせることだってある。

 

ちなみに、私は、今の仕事に就いてから「目的を考える」ことが苦手なのではないかと思っていた。

しかし、興味関心、自分ごと、として考えられることには「目的を考える」可能性があるのではないかと思っている。

 

ここまで、目的を考えることが大切だと思ったことを書いてきたが、何もかも目的を考えていたら立ち止まってしまい、行動できなくなる。

経験を積めるような可能性があっても、みすみすそれを逃してしまうことだってあると思っている。

楽しみたい、気晴らししたい、そんなことで例えば旅行したり、人と会ったりすることって決して間違っちゃいない。

そういった人間的な感覚は自分にとって大事だと思うので、そういった感覚を使いつつも、ほどよく「目的を考える」ことができたら良いなと感じる。

 

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