私は、元旦に親戚と時間を共にした。
そこには、兄の子供2人も集まった。
2人の子供のうち1人は、今年高校受験を控えている。
その甥っ子と話したときに、ついついやってしまった失態がある。
甥っ子がやっていることを否定してしまった
高校受験を控えている甥っ子は、YouTubeでゲーム実況を観るのが好きらしい。
その話を聞いたときに、「それ楽しいの?他のことをやってみたら?」と否定する言い方をしてしまったのだ。
また、受験勉強をやる時期なのにYouTubeに時間を費やすことに対して、自分事として捉えてしまい、「今やらないと後悔する」、「もし落ちたら・・・」と考えてしまい、「YouTubeは観ていると頭が疲れるからやめたら?」みたいなことも言ってしまった。
さらに、この時の感覚として、「ゲーム実況」という自分目線で楽しくないことをやっていることへの不安を感じてしまったこともある。
良い・悪いを判断するのは自分次第
YouTubeでゲーム実況を観ることを良い・悪いと決めるのは、私ではなく当の本人である。
それに、「楽しい」と思えているならそれでよくないか?
それに、ゲーム実況は私目線で言うなら、自分のためにならないと思ってしまうけど、為になるか否か、を判断するのも相手。それに「為になることをしないといけない」わけではない。
自分が相手の好みを否定してしまった別の理由
そういえば、三宅香帆さんの著書『考察する若者たち』を読んでいて、ゲーム実況を見る人は正解を知りたい、自分はミスしたくない、という思いが隠されているといった趣旨のことが書かれていたと記憶している。
それが脳裏にあり、それ前提で会話を進めてしまっていたのだ。
だとしても、その本が書かれている内容が目の前にいる人に当てはまるかはわからない。
私自身は、相手とのコミュニケーションは大事にしたいので、自分の過ちに気が付いたときには、今後、フラットな脳で聞けるよう脳をリセットした上で会話したいと感じた。
最後に:自分とは異なる考えを持つ人と会話は難しい
プライベートで人と会話する際、自分の考えをもとに、相手の話を聞いてしまうことがある。
だから、相手の考えを受け入れられず、自分事として捉えてしまい不安感や危機感を感じたことには反応してしまい、ついつい否定してしまったり、別のやり方を提案してしまったりする。
相手が求めてもいないのに。
改めて会話する難しさを感じたのだった。
