効率良くやるには前提となる体感覚が必要なのではないか?

私は、今の会社へ入社し、先輩から都度、時間を意識して”効率良く作業を進める”、”生産性を高めること”を常々意識するよう言われてきた。

この2つを意識するのは、とても大事なことだ。私がいる部署は経理になり、管理系の業務は効率の良く事務作業をやり、少ない人数でより多くの業務をこなしていく必要があるからだ。

しかし、私からすると、業界・業種未経験で入社した人間にとって”迅速性”だけでなく”覚える”、”理解する”、を並行して進めないといけないし、その3つに”正確性”も求められるだろうから、結果として4つのことを意識しながら進めないといけないように感じてしまう。

特に、”迅速性”は、手を動かす速さを早くすることだったり、無駄な工程を省いて進めることだったりを意識しないといけないので、私からすると一番難しさを感じるのだ。

 

 

効率良くやる=自分の感性を失う、という感覚

私は、自分の感性を大事にしたいタイプの人間のようだ。その感性は、体感覚・経験で養われていくような気がしている。

だから、人がAというやり方をやった方が良い、と言っていても、「Bというやり方なら、より正確なのではないか」と思えばBを試したくなる。

そこでもし進め方でより遅さを感じたり、正確性に欠けていたりなど欠点が自分の目でわかり、初めて「何となく腑に落ちる」感覚が芽生えてくる。

ここでBをやらないと、自分の感性を失う感覚になり、それが塵も積もれば山となるのと同じで、「自分は何を考えているのか」「何をやろうとしているのか」と迷走することにつながってしまう。

そのため、「効率良く進める」「効率良く学ぶ」と言った類のことは苦手だ。

自分の感性を元に判断・行動し、感性に合わせて試していく中で得られる体感覚・経験が大事になっていくような気がしている。

 

”無駄なこと”は何が”無駄なのか”その場でわからない

先輩や上司から業務の中で「これは無駄なこと」「これは効率が悪い」と言われていたことがあるし、「より効率良く進められる方法を考えて」と言われたこともある。

でも、何が無駄なのか、何が効率を悪くしているのか、説明されても理屈ではわかるけど、「何となく腑に落ちないもどかしさ」が残るのだ。

例えば、入力ミスがないかの確認作業を入力元の情報を元に確認する際、入力元の情報と入力先の情報、それに併せて例えば合計値と比較してどうなのか、というのを付け加えると、作業を一直線で進めるなら、確かに効率が悪いかもしれない。

けれど、正確さが増し、後で手修正する手間だって減るので、トータルで見たら効率的じゃね?と思ったりする。

 

書いていて思ったのだが、言葉をより具体的に示すこと、脳内イメージを共有すること、それがコミュニケーションでは必要そうだな・・・。

 

「ほらね!言った通りになったでしょ!」と言われると窮屈さ

先輩や上司から、「〇〇というやり方をやれば、絶対にうまくいく」、「××だと△△になるからやめた方が良い」とアドバイスをいただき、その言った通りの結果になると、「ほらね!言った通りになったでしょ!」と言われる。

このように前もって分析された仮説、そしてそれが当たった時の反応を見ると、「その人の言う通りにやった方が良い」、「その人の言う通りにやらないといけないのか」と思ってしまう。

これにはどこか窮屈さを感じるのだ。

 

もしかすると、ミスする時間などが遠回りだと考え、うまくいく近道を教えてくださっているのかもしれない。

しかし、私からすると、私の思考や感性をもとにやらないと、自分ごととして物事を受け入れられないし、今後どうしたら良いのかなど考えないし、アイデアだって出てこない。

経験が今後の糧にならないのだ。

 

 

防げるミスを減らす対策をするのも良いが・・・

先輩や上司から、「〇〇というやり方をするとミスしやすいからやらない方が良いよ」と前もって情報をいただけることもあった。

その際は、ロジックにて色々な説明を受けたりもした。

しかし、その人目線で前もって言われてしまうと、それも自分の体感覚・経験を積む機会を失ってしまうことになり、それっぽく説明されても腑に落とせないことがほとんど。

防げる失敗は防ぎたいのはもちろんのこと。

先輩や上司の手に渡って初めてそこで指摘されるのは良いのだが、その前に指摘されてしまうとどうしても指摘事項がただのインプットになってしまい、自分の中で指摘事項を回避するための策を考えることをしなくなってしまう。

 

指摘されることを恐れて、自分の進め方が合っているのか、認識や理解が合っているのかを尋ねてしまっている自分も悪い気がする・・・

 

仕事に限らない!効率良く学びたくなる時はある!

私は、これまで副業や資格取得などにおいて、講座やコミュニティに入ったことがある。

そこに入ったのは、主催者の人から教えを受けたいと思ったからだ。

特に、会計系の講座(コミュニティ)に入ったのは、「効率良く勉強できる方法」を知りたかったからだ。

この効率とは、「時間をかけずに学び、最短で試験に合格できる」が念頭にあった。

時間をかけずに学ぶには、タスク削減が必要という話があり、かつ、1日あたりの学習時間を増やすことで、”短期間”で合格できると言った考え方だった気がする。

効率良く短期間で成果を得られれば、その際は転職活動を早く進められるので、「短期間での合格」で問題なかった。

そして、簿記2級はこれで合格できた。

 

教えを受けても自分の感性が合わないと感じることも

しかし、簿記1級へ行った際に自分にとってそのやり方に限界を感じてしまったのだ。

私の感覚では、簿記3級、2級の内容が身になっていなかったり、そのやり方が「資格を取得すること」を目標にしているように感じ、私の中にあった「勉強して理解する」が実現できないと感じたのだ。

動画視聴において理解できなければ一度戻ったり、聞くことに徹してみたり、といった自分なりにやり方・意識を変えて取り組んでみたがダメだった。

もちろん、動画視聴以外にもテキストの読み方だったり、生活習慣だったり、も変えてみたけどダメだった。

私からすると、効率良く成果を得られるやり方が非効率だったことに気がついた。

 

最後に:「効率の良さ」は”経験”と”相対評価”から得られる体感覚がキーポイントかもしれない

ここまで自分の思いや出来事を書き出してみて「効率の良さ」を求める上でのキーポイントが出てきた気がする。

・色々と試した上での経験
・色々と試して得た経験による相対評価

 

色々試して遠回りして、初めて気がつくことだってある。初めて視界が広がり、全体が見れているような感覚を得られることもある。

試すことで、自分の心の声や考え、潜在的なニーズに気がつくことができる。

経験を積み重ね、過去の出来事や経験などを相対評価することで、「効率の良さ」が見つかるのではないか。

そして、体感覚で得たことが自分の納得感につながり、自分の血肉となっていく気がする。

 

ps

①自分の特性や考えを伝えれば自分の苦しさを減らせるかもしれない。

しかし、私の考えが浅はかだったり、私がごちゃごちゃと長い説明をしたり、言葉足らずのところがあったりして私の話を聞いてもらえなかったりする。

もし言えたとしても相手の方が自身の思いをロジック立てて言ってきて、私の考えを否定というか、潰そうとするというか、押さえつけてくるような会話になるので、言おうと思わない。

業務のことで、「〇〇についてどう思う?」と聞かれ私の考えを伝えたところ、「それだと〜だから違うと思うよ」みたいな言い方をされたことがある。

会話が議論の場になるので、私の本心と違った会話になるのが面倒なので、言いたいと思わないのである。

 

②その場で理解しようとする、解決しようとする。こんな考え方は大事だけど、その人のフェーズによっては、そこに縛られずまずは行動を積み重ね経験を積むことが先決だったりする。

考え方や行動の仕方は、グラデーションで成り立っているのかもしれない。

そして、人よりも成長が遅くても、それは仕方ないことであり、大事なのは諦めず何度もトライアンドエラーとフィードバックを繰り返すこと。そうしたら、何かを得られている気がするのだ。

 

それにしても、書いていて「相対評価」という言葉が出てきたわけだが、人って「比較しない方が良い」と聞くけど、自然と何かと比較してしまう・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)