2026年のテーマ/頑張り過ぎない・自分のペースで歩む

2025年から2026年へと新たな年を迎えた。

2025年は、それまでとは全く予想にしていなかった選択をしてきた。

そして、2026年は今までの人生の中で自分の考え方や取り組み方を変えられる、そんな1年にしていきたいと考えている。

 

 

頑張り過ぎない・自分のペースで歩む

私は、2025年11月10日頃よりうつ病で休職中だ。

新たな会社へ転職して1年6ヶ月が経った頃の出来事だ。

1年6ヶ月の間、私は必死に頑張ってきた。

・会計系のコミュニティに所属しており、そこで簿記1級の取得を目指した。
→平日は、朝3時30分から学習を始めたり、業務後に1時間ほど学習した。
休日は6時間以上学習に時間を費やし、しかもコミュニティ関係のこともやっていた。

・中途採用で入社したこともあり、1日でも早く先輩のように会社を理解し、仕事ができるようにメモを取ったりして理解をしようと神経を尖らせていた。

・任された仕事は責任をもって正確にやれるよう行動にミスがないか、自分の判断に誤りがないかを自問自答し、しかも先輩や上司へ聞いてみたりした。とにかく目の前のことを完璧に仕上げようとしていた。
そして、先輩や上司、部長から喜ばれるように、と必死になって目の前の仕事をこなしたし、必死に理解しようとしていた。
必死になってミスしたことを直そうとしたし、自分の悪い癖も直そうとした。

 

公私共に「成長する」、「成果を出す」、「悪い点を改善する」ことを念頭に動いていた。

しかし、ある時、会社へ行く時には動悸・息切れし、仕事中にはちょっとしたミスや指摘で涙を流すようになり、負荷が大きいと過呼吸を起こすようになり、自殺願望だって出てきて、休職することになった。

 

義務感で動く自分・周囲の目を気にして動く自分

ここまでの人生を振り返ると、「〜をしなければいけない」という義務感、「〇〇さんに怒られたくないからやる」という周囲の目を気にして動くことが多かった。

・野球で監督に怒られたくない、ケツバットは受けたくない、だから声を出すし全力でやる。
・上司に怒られたくないから、言われたことをやる。
・コミュニティのトップの人から目をつけられないように勉強時間を確保しなければいけない。

 

こんな気持ち・考えでやっていた頃は、もちろん、自分がやったほうが良いという前向きな気持ちでやっていたこともあったが、多少なりとも自分の意に反していたこともあり、ある意味で「頑張っていた自分」、「努力していた自分」だったと思う。

 

人の様子が気になったりする

仕事や自宅において、どうしても人の様子が気になり、機嫌が悪そうなら「自分が悪いことをしたんじゃないか」、場の空気を察して「何か声がかかりそう…」、自分の価値観に反していると「〇〇をやった方が良いんじゃね」と声をかけたりしていた。

こう言ったことって決して悪いことではないと思うが、「気にし過ぎる」と”頑張って”周囲へ気にかけている自分、となってしまう。

色々と気になる部分が目に入ってきてしまい、気疲れが出てきたり、イライラが出てきてしまうことになる。

 

 

仕事で成果を出さなければいけない/成長しなければいけない

自己啓発系の本や発信を見聞きすると、どうしても仕事で「成果を出さないといけない」、「成長しなければいけない」と思ってしまう。

私の場合、経理でいう成果とは、決められたスケジュールにて決められたことを終える、成長とは材料比率分析ができるようになる、と言ったことが挙げられる。

それに、私の場合、”中途採用”で入社したので、そうなると新卒とは異なり、成長の速さ、会社や部署への貢献度が求められると思っている。

必要とされなければいけないと思ってしまっていた。

だから、業界・業種未経験であっても一度教わったことはその場で理解しようと頭をフル回転させて上司や先輩の話を聞いたし、覚えられない・理解できないのは自分がいけない、どういう聞き方をすれば良いのか、と考え続けていた。

 

”継続しないといけない”という思い込みが自分を苦しめる

継続することで、成果が得られたり、感覚を掴めたりする。

副業にしろ、勉強にしろ、継続することが大事だと言われるし、私もそのように思う。

私は、一度始めたことは、”毎日やらないといけない”と考えてしまい、本当は休みたいと思っても、「やらないければいけない」と考え、机に向かったりする。

この継続させるという考え・行為が自分を苦しめることにもつながることがあると感じる。

周囲の目を気にして、周囲の評価を気にして続けたことは、結局は勉強や副業にしろ、「評価を得ること」が目的にすり替わってしまい、本来の知識を得たい、お金を稼ぎたい、という目的からかけ離れる。

この状態で続けると、脳も心も徐々に壊れていくのではないかと考えている。

 

自分にとっての継続とは何か、を自分なりに定義づけることは大事だと思う。

 

2026年は実践の中で自分のペースでの歩み方を知る

私のこれまでの人生は、頑張る・努力する・人から評価を得る、を必死にやってきたと思う。

ただ、2025年の自分を振り返ると、そんな生き方を手放し、良い意味でも”自分のペース”を大事にした方が良いと考えている。

そして、そんな生き方を本当の意味で”知る”ことが必要ではないか。

SNSをはじめとするネット上の情報にて「自分のペースで人生を歩むやり方」みたいな発信はよく見かける。

だから、一応はそんな生き方を知っているけど、本当の意味で知っているのかというとそんなことはない。

何故なら、「実践してみろ」と言われたら絶対にできない。

絶対に今までのような頑張る・努力する・成果や成長を求める、そんな自分に戻ること間違いなし!

勉強と勉強の合間に休憩時間を入れることはできても、本当ができるのかというとそんなことはない。

恐らく、頭の中は勉強のことで頭いっぱいだし、時には仕事など嫌なことを思い出すことだってあるだろう。

とはいえ、無理のないコミュニケーションの取り方、無理しない勉強の進め方、などは考えているものの、具体的にどんなやり方が良いのか、と聞かれてもまだ何も定まっていない。

手探りで見つけていく、それで良いと思っている。

 

 

自分を整えることは実践する

自分のペースで人生を歩む中で、「自分を整える時間」を設けることは必要だと思っている。

そのためには、

・運動/筋トレ
・睡眠
・ストレッチ

の時間は確保していく。

休職中にトレーニングジムでの運動・筋トレが続けられた時には、気持ちの持ちようが変わっていたし、その時の疲れ具合によって睡眠時間を確保できたら1日の行動量が多めだった気がする。
行動量が多いと眠れていたと思う。

また、ストレッチは体が硬いと疲れが溜まりやすいのではないか、という仮説のもとに実践していく。

 

他にはジャーナリングや瞑想も取り入れられたらと思っている。

 

今までは常に走り回っていた感覚があるから、これからは走り回るだけでなく、自分を整える時間も設けていきたい。

 

最後に:自分のペースで

2026年は、周りの情報や活躍に心も脳も支配されず、淡々と自分のペースで歩んでいきたい。

頑張ること、努力すること、というのは、短期的にはできても長期的にはなかなか難しい気がする。

年齢だったり、AIの力だったり、徐々にでも焦らざるおえない要因が重なり、焦りから自分へ負荷をかけてしまうことだって出てくると思うけど、そう言った時でも、自分へ負荷をかけ過ぎない自分でいるために、仕事なら仕事、生活なら生活を無理なく続けていきたい。

そうしたら、何かしら得られているのではないか。

 

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