人は、何故共感してもらうこと、話を聞いてもらうことが力になるのか?

タイトルの内容は、私の中で結論めいたことは出ていません。

ただ、私自身、とても不思議に思っています。

 

 

仕事で求めていた「共感」してもらうこと

私は、経理部に所属しているのですが、上司に怒られたり、失敗したりすると、過呼吸を起こしてしまうことがある。

他にも、急に涙が出たり、気がついたら憂鬱な気持ちになったりする。

そして、ある時、過呼吸を起こして救護室に運ばれた。

そこで、保健師の方と悩みなど話した。

そうしたら、スッと心が軽くなった。背負っていた重荷がなくなった感覚があった。

しかも、話している最中は、聞かれたこと、そして、頭の中に思い浮かんだことがスラスラと出てくる。

聞いてもらえるというのが安心感につながったのかもしれない。

そして、頷きながら聞いてくださり、共感を示してくださったことも大きかった。

この経験から意外にも私自身は、自分が感じた不快感を聞いてもらうこと、共感してもらうことを欲していたんだということに気がついた。

 

とはいえ実際に行動するのは難しい

上司から怒られても、その原因は自分に非があるかもしれないし、自分の胸の内を明かす時間というのは相手の時間を奪うことになりかねない。

それに、私は話の内容が抽象的なので、相手が分かるように話せないことだってある。

だからこそ、自分が話したいことを話す、というのに難しさを感じるのだ。

そして、話すタイミングを逃し、1人抱え込み、結果的に過呼吸を起こしたり、涙を流したりしてしまう。

悪循環に繋がってしまうわけだ。

 

最後に:自分の胸の内を明かせる相手は貴重な存在

実は、今日、上司に注意を受け、会話している最中に奇声を上げ、そして過呼吸になって救護室へ運ばれた。

保健師の方と改めて会話したけど、自分が抱えている辛さをありのままに話せた。

その時間がとても有意義な時間だった。

自分の胸の内を明かせる相手というのは、生きていく上で貴重な存在だと感じた。

人は、生きていれば家族や仕事、友人など人間関係による不快感を感じることだってあるはずだ。

そんな時に、1分でも自分が感じたことを話せる相手がいたら、そこで気持ちや脳をリセットでき、前へ進める気がする。

 

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