コミュニティの【質問すること】について思うこと

現在、とあるコミュニティへ所属している。

過去の記事を見ると、「講座」と表現することもあるけど同じものを指している。

どのコミュニティにも【質問する】という場が設けられていると思うけど、今回は、その質問に対して思うことを書いていきたい。

 

 

【質問】には2つの目線があり、それぞれで効用が異なる

私は、コミュニティ内で【質問すること】に対して、質問者と回答者で目線や効用が異なると思う。

目線 効用
質問者 ・解決したい
・脳内を整理したい
・こんな質問して良いのかな?
みんなに馬鹿にされない?
・モヤモヤを整理でき、吐き出すことで落ち着く
・反応してもらえることに嬉しさあり
・問題の解決へ
回答者 ・質問者の力になりたい
・解決できなかったら申し訳ないから、慎重に考える
・回答するのが面倒
・人に教える練習
・知識の確認
※「質問を解決しないといけない」ということではない。

特に、回答者は「解決すること」を考えてしまうと思うけど、そうすると自分のための行動ができない。

コミュニティである以上は、いくら質問する場であっても自分のために行動した方が得策だと思う。
(恥ずかしさや面倒臭さでなかなかできないんだけどね。)

 

回答者は自分の為の行動を!

人に教える。

これって想像以上に難しい。

相手のレベルを知り、相手の質問の意図を考える。

そうすると、使って良い語彙、踏み込んで良い領域がわかってくる。

しかも、文章の書き方だってその人に合わせたものにしないと伝わりにくいわけで、色々なところに気を配る必要が出てくる。

これって訓練でしかなく、もしコミュニティに属しているならこういったことを意識して自分のために行動できるようになった方が良いはず。

自分以外の人が答えていて、質問者が「ありがとうございました!解決しました!」と言っていたとしても、実行する。

それが自分のための行動かと。

まぁ質問者のことを考えると、情報が余計に増えると感じる可能性があるから余計だったかもしれないけど、それは相手の捉え方次第。

もし解決しているなら、ただのノイズになるだけ。気にすることじゃない。

 

 

質問者の回答を聞くと・・・

質問者に白黒を分けてもらうことで、どんな回答の仕方が適切なのかがわかる。

ここまでしなくても良いんだけど、評価を聞くことで自己意識に頼らない、ニーズ(相手)を意識した回答ができると思う。

これって仕事をしたり、人と関係を築いたりする中で必要な考え方だと思う。

「自分」というのは大事だけど、相手のことを考えた行動や発想ができることでお金を稼いだり、良好な人間関係を築けたりするはず。

 

最後に:「人に教える」は「挑戦」

人に教えるというのは、本当に面倒臭い。

相手のことを知らないからこそ、そう思うのかもしれない。

しかし、人に教えるというのは仕事をしていると、そして生きていると何かしらの形で行うことになると思う。

どれだけ嫌であったとしても、人に教えることからは逃れることが出来ない、もし出来たとしたらもしかすると、人と関係だって築きにくくなってしまうかもしれない。

面倒だし、しかも時間がかかる、労力だってかかる。

そんな質問への回答に対して、相手のことを考えて回答するというのは1つの挑戦だと思う。

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