主治医から休職を薦められても働き続けた理由と休職を選択した理由

私は、2025年8月末に職場にて過呼吸になり、救護室へ運ばれた。

保健師の方と産業医の方から精神科の受診を薦められ、翌日に受診することができた。

そこで、うつ病とパニック障害だと診断され、休職を薦められた。

しかし、薬物治療のみで休職しないことを選択したのだ。

今回は、今まで働き続けた理由と休職した理由について整理していきたい。

 

 

①野球選手だってケガしても出続けている

私は、野球をやっていたので野球を軸に物事を考えることが多い。

今回も脳裏に野球選手のことが思い浮かんだのだ。

基本的に公にされる野球選手のけが情報は、骨折や靭帯損傷などといった「全治〇か月」という場合が多いと思う。

ただ、実際にはけがを隠しながら出場する選手が多く、内野手を守る選手でもボールを投げる肩に痛みがありながらも出場する選手だっている。

痛みの程度はあるが、野球がやりたい、自分の立場を守る(クビにならないように)ためにも、チームへ迷惑をかけない程度に自分の責任を果たそうとしているんだと思う。

 

また、骨折しながら出場する選手だっている。

「痛っ、最悪やあ」右手小指があらぬ方向に…源田壮亮がいま明かす、WBC“あのケガの真相”「レントゲン写真を見た瞬間、先生があれ?って」

顔面死球の鳥谷は鼻骨骨折 フェースガード姿で室内に「視界良好です」

 

自分と同じ人間がこのように不調でありながらも、自分の仕事をやっていることを知っている分、「メンタルが少しおかしいくらいで休んでたまるか!」みたいな気持ちになっていた。

 

②自分がうつ病というのは半信半疑だった

自分がメンタル不調だというのが受け入れられていなかった。

何故なら、出勤時に動悸がしたり、仕事中に涙が出たり(ストレスが有っても無くても)、過呼吸になったり、自殺願望が有ったりしても

・朝起床できるし、布団からも出られる
・通勤時に電車に乗れる
・職場に足を踏み入れることができる
・月次業務に取り組むことができる
・上司や同僚と会話できる

といったように普段と変わらないことができていたからだ。

 

実際に私の知り合いで、うつ病になった方がいる。

その人の話を聞くと、

・寝つきが悪い
・寝れない
・食欲がない
・吐き気がする

といったことがあるようで、私と比較すると全く異なる。日常生活に支障を来しているとか。

 

 

休職を選択したのは、「もう限界かも」と察したから

私は、2025年8月末に職場にて過呼吸になり、救護室へ運ばれたわけだが、同様のことを11月6日にも起こしてしまった。

しかも、その時は、上司との会話中に内容が不快感を感じるような内容で、頭にプッチンと来てしまい、同じフロアの人全員が聞こえるくらい少々荒げた声・言い方をしてしまった。

さらには過呼吸まで起こしてしまった。
(自分が責められていたり、馬鹿にされていたりしているように受け止めてしまった。)

 

実は、8月以降は、不安を感じた時には薬を飲み、症状を緩和してきた。

ただ、最近は月次業務になると同僚が風邪をひいて休み業務量が増えたり、私のミスをきっかけに上司との会話だったりでストレスを感じやすくなっていた。

そして、そのストレスを通じて過呼吸を起こしてしまう頻度が週に2~3回になっていた。

それまでは、週に1回あるかないか程度だったのが、増えてきていた。

そこに追い打ちをかけるように上司との会話による自分の対応とその後の症状を考えたときに、自分自身が仕事のストレスに耐えられない、そんな状態であると感じたのだ。

ほかにもそれまでとは異なる症状が出てきていた。
⇒疲労感や倦怠感、やる気・意欲の低下、集中力の低下、自殺願望の強まり

 

もう限界を察した。さすがに同フロアの人たちが自分が犯したことを知っている状態で、これ以上は隠し切れない、ここで自分の行動などを変えないと今後同じことを繰り返す、そうならないためにもいったん休むことが必要だと感じ、休職を選択したのだ。

 

最後に:野球選手と自分は違う

野球選手でもけがをして試合に出場している選手がいるわけだけど、その野球選手と自分は違うかなと思った。


引用:Number WEB

試合に出るといっても、自分が退いたことを考えた上での出場だ。


引用:Number WEB

しかも、「大事な大会を最後まで戦い抜く」という強い意志がある。

 

仕事をしていたころの私がそこまでの思いがあったのかというとそんなことはない。

何故なら、限界を感じており、いつ心身がおかしくなるかもしれない、極端なことを言うと、いつ命を捨てるかもわからない、そんなメンタル・思考だったのだ。

また、野球選手でも上記のように出場し続けられる選手は一部であり、基本的にはどこか調子が悪ければ「休む」というのを選択している。
(もちろん程度はあるはず。)

 

何が言いたいのかというと、どれだけ自分より頑張っている人であっても、その人を自分に置き換えて考えすぎてはいけないということだ。

置き換えるのは全然OK。そのことで、できることってあると思うので。

ただ、置き換えた中で、本当に自分がその選択をしていいのか、できるのか、というのは考えたほうが良い。

それが自分の人生を自分の足で歩くということだと思うし、これができるのが社会人(大人)だと思うので。

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