“誰かのための目標”から卒業する。自分の成長を自分で決めるという話。

私は、これまでブログなどで稼ごうと思いコミュニティへ入ったり、簿記2級の取得と未経験での経理転職を実現させようと講座へ入ったり、といわゆる「意識高い系」の選択・行動をしてきた。

そうすると、自然と「自己成長」、「今後の目標」、何でこれをやるのかという「目的」を意識することになる。

しかし、今の私にとってはこれらを考えることが嫌になった。

 

 

「目的」を持つのは、ギリギリ理解できる

仕事をしていると、今自分がやろうとしていることが何のためになるのか、という手を動かした後のゴールだったり、それをやる意味だったりを考えたりする。

今の会社へ入社後、先輩から毎日のように問われてきた。

毎日のように問われたことで、「今の自分はそんなことより手を動かすことで精一杯だ」と心の中では思っていたし、目的を考えたところで仕事が理解できていないからなのか、全く目的が明確にできないことだってあった。

その為、目的を持つことが一時期嫌になったし、「目的」という言葉を聞くこと・考えることも嫌になった。

 

しかし、目的を持たないと、「自分が何でこれをやっているのか」がわからず、また、何か改善しようにも目的無しに進んでは、例えば効率よく進めることが目的だったのに、RPAを使うことが目的になってしまうといった、手段が目的にすり替わることが起きかねないと思う。

また、私生活に目を向けると、簿記を学ぼうと新たに予備校を選ぼうとなり、3つの選択肢で迷ったときに、「なぜ予備校に通うのか」という目的が無ければ、決めかねてしまうだろう。

だからこそ、「目的を持つ」ことは、考えるのもその言葉を聞くのも嫌だけど、必要性をギリギリ理解できる。

 

仕事と私生活では「目的」の持ち方が変わるケースがあるのでは?

仕事だけでなく、私生活において「目的」を持つことで、取捨選択が可能になると思っている。

しかし、私生活において「目的が何か」と考えると、場合によっては「感覚的にはやりたいことでも、理屈ではやる理由が明確ではないので、”やらない」となってしまう恐れがある。

目的を持つことが「絶対では無い」ということは、肝に銘じておきたい。

そうしないと、意味あることしかやらなくなり、視野が狭まったり、気が休まらなかったり、し人間らしさを見失いかねない気がするのだ。

 

 

「自己成長」と「今後の目標」は全く受け付けない

意識高い系だった私なら考えることも、実行することもできそうな2つだが、今ではどれも受け付けない体・脳みそとなってしまった。

 

何で「自己成長」を求められなければいけないのか?

過去に「自己成長」を望んでいた私だが、メンタル不調が起こってからは、「何で自己成長しないといけないのか」と思うことがある。

先輩からは、「成長しないといけない」みたいなことを言われたことがあり、今では会社でお仕事をさせていただいていても、「成長しなければいけない理由」が全く分からない。

いや、「外から成長を求められる理由がわからない」が正しいのか?

 

人は”自分のペース”で成長していくのでは?

会社からお金をいただき、生活が成り立っているため、その会社へ恩返しすること、そして会社をより良くし会社の成長に寄与すること、これが求められるのはわかる。私だって経理未経験でメーカー経理の採用試験において選んでいただけたからこそ、人事の方や部長さんなど面接していただいた方達へ恩返しをしたい思いだってある。

それに、私が上司だったら会社や自身のキャリアの為にも、部下へ成長を求めるだろう。

しかし、私の成長は、私のペースで目指したい。

極端なことを言うと、私が成長しなくても会社は回るし、成長することだって可能だ。
「私1人にそんな成長を求められても困る!」とさえ思った。

休職前から、

・何をもって成長なのか
・「成長」を意識されないと人は成長しないのか
・成長スピードは人それぞれではないか
・「勉強」、「自分から率先して仕事をやる」ことをしないと成長しないのか
・何で「会社のために」成長しないといけないのか

といった疑問があった。

私からしたらその人が、それまでに築いてきた経験をもとに、仕事や役割などの新たな経験を積み重ねられていくと思っているので、何が、どのくらいの期間で、どの程度、できるようになるかは測れないと思うし、他人から望まれてもそれ通りに成長しなくてはいけない理由はないはずだと思っている。

また、「成長したい」、「○○ができるようになりたい」といった先々を見据えて自分をレベルアップさせる思考や行動は、その人それぞれのタイミングで起こることだと思うのだ。

”タイミング”だからこそ、20代なのか、30代なのか、はたまたその人にはそのタイミングがやってこないのか、そんなことはわからない。

ただ、1つ言えるのは、「成長」は生きていればしているということ。
毎日、会社へ行き、毎月の業務をやっていても、繰り返せばやり方やコツがわかってくるようになる。

それまで積み重ねたやり方に対して、数字のロジックを考えるなどの考えてもいなかったことが考えられるのかというと、それは「必要に迫られていたか否か」、「自分がアンテナを張れたか否か」によって結果が変わってくるので、何とも言えない。

それでも、「何かしらの変化」が訪れるし、マンネリ化してきたと感じたら、別のことに考えを及ばせる余裕が出てきていると思うので、別のことに興味関心が行くはずだ。

もしこんな考えがダメなら、別部署へ異動したって良いし、直雇用でなくても良いと思っている。

 

 

「今後の目標」なんてわからない

転職活動において、「将来像」は考えたことがある。面接用なのか、自分ごととして考えていたのか…。
割と後者の意味合いが強かったと思う。

今の会社へ入社し、先輩から業務を引き継いだ後に先輩から「目標を持ったほうが良いよ。定期的にその目標に対して進捗を振り返った方が良い。」といった趣旨のことを言われた。

しかし、経理だけでなく、業界未経験の私からしたら、先ずは仕事を理解することだったり、先輩から引き継いだことを自分の力で進めることだったり、それ以外は全くない。

目標があった方が自分を見失わず仕事ができる、ということなんだと思うし、目標を持った方が目の前の仕事に集中できることはわかる。

しかし、「これができるようになりたい!」みたいな1つに絞ること、「会議資料作成を〇日までに終わらせる!」みたいな具体的なこと。
これらを考えても正直言って絞ることも、そして具体的に示すことも私の力ではムリ。

誰かの力を借りればできるのかというと、そんなことはない。

誰かの力を借りても、恐らく「自分ごと」として考えること、見つけることなんか無理だろう。

誰かの力を使って立てた目標は、私の場合は、「その人のために達成する目標」となりかねない。

 

将来のことなんか変化すると思っている

今、「××ができるようになりたい」、「年収△△万円稼ぎたい」と思ったところで、1カ月後には変わっていることだってあるだろう。

変わっても、初心を忘れることなく持ち続けるのはありだけど、私は自分に嘘をついているようで良い気がしない。

それに、「××ができるようになりたい」、「年収△△万円稼ぎたい」となったところで、それらしか見えなくなると、例えば「××よりは※※を先にできるようになったほうが良いかも」と思っても、「どちらを優先させるか」ということを考えることになり、結果的に”立ち止まってしまう”ことになると思っている。

それに、その時点で思ったことが、時間が経つにつれて、その思いがどんどん薄れてくることだってある。

私は、そういった変化を大事にしたい人間なのかもしれない。

 

最後に:自分の考えや行動に「ゆとり」を持たせたい

私は、人に頼ることは良いと思っているし、決して指図されたくない、とは思っていない。

しかし、人とのやり取りの内容によっては、「これをしないといけない」などと義務感が強くなり、その義務感が自分の思考や行動を狭めることになってしまう恐れを感じている。

ある程度のルールや方向性が示されているなら、自分の判断・行動で切り開ける、これが私には大事であり、「ゆとり」があることで自分の足で立てるのかもしれない。

 

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