自分は変化していると思っても、他者から見ると自身のことを変化しているようには見えず、「もっとこうしたほうが良いと思いますよ!」みたいなアドバイスを受けることがある。
そういったのを聞いてしまうと、ついついそれに流されて意識の中では「もっと変化しないと理解してもらえないんだ」と思ってしまう自分がいる。
Contents
物事の選択が他者基準
私は、人と言い合うことに抵抗があるので、他者基準で物事を選んでしまいがちだ
・「他者と会話ができるように」と思いネタ作りのために飲食店へ行く
・「つまらない人間」だと思われないように休日には「何か面白いことをしないと」と考えてしまう
具体的な日常で感じた共感のズレ
髪を切る時にいつもお世話になっている美容師の方とお話をすると、
・最近どう?
・この後お昼どうするの?
といった会話になる。
前回だと、私は
・実は今休職中なんですよね
・アニメってあまり楽しめないんですよ~
物語ってある程度のところまで行ったら、流れが一緒で楽しめないんですよね。
・『SPY×FAMILY』の○○というキャラクターかわいくないですか?!
みたいなことを話した。
そうすると、
・今は好きなことやった方が良いですよ!
・だったら××というアニメは良いですよ!
・確かにそうだけど、もっと楽に楽しんだほうが良いですよ!
みたいなことを言われた。
言われたことは確かにそう、理解はできる。
しかし、その言っていただいたことができないし、休職中であっても好きなことをできるほど体力・気力ないし、興味も湧かないし。休職に関して言えば、いづれは遠出してみたいと思いつつも、日常生活を送れるようにし、いづれは復職するので、その美容師の方が言うほど好きなことができるわけでもない。
もっと言うと、根本がそれほど「これがやりたい」と思うような興味関心があるわけではないので、おっしゃることはわかるけど、その方が思っているほど好きなことはできないと言えるだろう。
あとは、何をするにしてもお金がかかるというのも関係しているだろう。
他者から承認を得たいわけではないのだが…
私は、他者から自分の状況や考えを承認してほしいという思いは無いと思っている。
しかし、美容師の方との会話のように、私が言ったことに対して、否定し上から被せてくるかのように意見を述べられると、少し不快感を覚える。
私が相手から否定されないようなトークを展開すれば良いのだが…
私は、自分に自信が無い人間なので、そういった他者から否定されるような言葉を受けると、
・相手が言うことをやらなければいけない
・つまらない人間だと思われないように、「行動」しないといけない
と思ってしまうのだ。
相手の言ったこと試しに実行してみた
美容師の方との会話で、油そばをおススメされたので、試しに行ってみた。
これはこれで会話の中で興味が湧いたので、行ってみたのだが、最初の会話以降も同じお店を行き続けている。
それはどうしても、「相手との会話づくりのため」が軸となっている。
油そば自体は美味しいし、楽しみであるもの、行き続ける理由はそこではなく、「美容師の方との会話・関係性」が土台にあると思っている。
提案されたことをやってみると視野は広がる
何をやったら良いのかわからない時に、人から提案されたことをやってみたら、刺激が得られて自分の興味関心、得手不得手が見えてくると思う。
これは、自分の頭では理解しているところだ。
しかし、興味関心が無いことでも「やりたいと思えるか否か」ってあると思っている。
例えば、「ONE PIECEは面白いので見たほうが良いですよ!」と言われ、その時は全く興味なくても、「今時間があるから見てみるか」と思えたら見れば良い。
ただ、「今は別に良いかな~」と周りからしたらノリの悪さに見える反応を自分がしたとしても、それはそれでその気持ちに従えばいいと思うのだ。
「興味のないことに触れてみる」って意外とエネルギーが必要なことだと思うので。
小さく「変化」することならできるかもしれない
私は、行動や考え方といったのを変えるのが苦手だ。
自分のこれまで築き上げてきたことを別の形にするということが過去の自分を否定している感じがして嫌になってしまう。
また、これまで築き上げてきたことを崩し、新たな自分になれたとしても、それが良いか悪いかわからないので、突き進むことに戸惑いを感じやすい。
・人に頼る
⇒自分で解決できるかもしれないし、自分の力でどうにかしたいという思いがあるので、人に頼ることは苦手だ。
・「意味ある事」を手放す
⇒休職前は、休日に運動したり、昼寝したり、出かけたり、といったことをやりたいと思いつつも、RPAや簿記の勉強をやっていた。
意識高いようなことを手放すことが物凄く苦手だ。
このように自分の中に染みついていることを変えることって、私からするとエネルギーがいるし、どう変化を加えていいのかがわからない。
しかし、小さく変化することはやれている。
筋トレメニューを変えたり、当ブログの更新を毎日更新はせず、やりたいと思ったときにやったりと私なりに小さく変化させられている。
最後に:人に見えない変化に対して他者の共感や理解を求めない
自分の変化は、他者からすると場合によっては本当に小さなことだったりする。
まぁ税理士のように難易度が高く、最高の本気を必要とするものであれば、仕事の取り組み方や決断の仕方など目に見えて「○○さん、最近何か違う」と思われるくらいの変化をするだろう。
しかし、私にはそれほど自分自身の何かを180°変えられるような動機が無い。
それでも、小さく変化することはできていると思っていて、そうなると、他者の共感や理解は得にくいはずだ。
こういったことを念頭に人と関われると、自分軸を持って取り組みながらも、他者の意見・話を良い意味で受け流せる気がする。

