タイトルの内容は、精神的なところ、頭脳的なところだ。
私は、どうしても遠慮してしまう。
今回は、「限界突破できない自分」を言葉に落とし込んでいきたい。
精神的なところ、頭脳的なところ
【精神的なところ】
・特に仕事において、「こんなこともわからないの?」とあきられてしまったり、物事が上手く進まないと直ぐに「俺ってこれに向いていないのかな?」と思ってしまう。
→人に迷惑をかけてしまっていると思ってしまう。そして、「貢献したい」と思うことに。
確かにそうかもしれないけど、そんなのは相手の解釈次第なところがある。
しかし、相手目線で自分ができないこと・わからないことだってあるし、もし知らないことならそれを機に知れば良い話。
自分を追い詰める必要なんかない。
また、仕事人生において「自分に向いてないんじゃないか?」と思うことあるけど、そもそも「向いているかどうか」を判断するほど何もやっていないはず。
見切りをつけるのが早すぎだし、もっと言うと人ってそれほど早くできないでしょ?!未経験なら尚更。
そこで、目の前の課題に着目し、潰していくことが大事になる。
【頭脳的なところ】
・当ブログを執筆する上で手が進まなくなった時、YouTubeやWEBサイトを見てしまったりする
→別の刺激があれば思いつくと思ってしまうわけだけど、そんなことない。
手が止まるのは、考えがまとまっていないということが多いため、「何がわからないのか?」、といった原因を探り、それを潰していく必要あり。
本当に別のことに目を向けるなら、目を向けるでOK。今の私は、中途半端な気がする。
以上がここまでの私だ。
痛みから離れたいわけ。
負荷のバランスを気にする
今は、28歳になるわけだけど年齢的、体力的な観点から今だから失敗できるし、今だからそれなりの負荷に耐えられるはず。
それなら果敢に挑戦したり、自分に負荷をかけていく必要があるけど、どうしても負荷と楽のバランスを気にして丁度良いところに落ち着かせようとしてしまう。
それは、痛みから逃れたいし、途中でぶっ倒れるのを避けたりしているからだ。
中学校時代の話が関係しているのか?
バランスを気にするのは、中学時代に何回も過呼吸や酸欠になったからだと思う。
地元の野球のクラブチームにて活動していたのだが、声を出したり、筋トレなどで自分に負荷をかけ過ぎたりして、呼吸が苦しくなった時があった。
この時に思ったのは、持続的に良い状態で頑張らないと身にならない、でも頑張ることで自分のキャバは広がる、ということだ。
これを経験しているから。
負荷が大きければ潰れるし、少なければ怠惰になるとも思っている。
手放せない
あとは、勉強なら勉強に力を入れたとして、それ以外のことに手を回せなくなるのが嫌だ。
簿記1級を勉強したいと思っても、できないのはここかな。
当ブログの更新だったり、他の突発的なやりたいこと、に対して行動を押さえて勉強し続ける必要がある。
リソースを回せなくなるような可能性に嫌気がさしてしまうため、思い切ったことができない。
失いたくない。
最後に:今後どうするのか?
自分へ負荷をかけることを意識するって難しい。
そんなもの意識したってできそうもない。
しかし、将来的に自分の選択肢を増やすために負荷をかけることは必要だと思っていて、今できることは小さな負荷をかけ続けることだと思う。
冒頭の内容で説明してみよう。
【精神的なところ】
仕事で上手くいかなくても、とにかく続ける。自分から離れる選択をしない。
知識が足りないなら調べるし、人とうまくいかないなら上手くいく方法を考える。
今の職場の部長さんが良く言うんだけど、「できるようにするにはどうするか?」を考えることだ。
【頭脳的なところ】
文章がまとまらないなら、今躓いていることを書き出すなり、書こうと思った理由に立ち返ったりすれば良い。
もしその場から離れたいなら、トイレ休憩を挟めば良い。
とにかく1つのことから逃げない。
逃げるのは良いけど、逃げることを決めていないのに逃げる(YouTubeを見るとか)のは結局ダラダラ過ごして、自分の貴重な時間を浪費してしまうことに。
意識的に負荷をかけるのは辛いけど、意識そのものを変えれば良いのではないか?