「やりたいこと」がわからない、という時はどうすれば良いのか?

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私は、よく考えることがあります。

「自分がやりたいことは何なのか?」

ず〜っと自分に問いを立てているのですが、中々答えが出ず。

それは何故なのか?というと…。

 

 

経験が少ないから

あくまでこれは、私が過去や現在の自分を振り返った時に感じたことです。

どんな経験なのかというと、色々ですw

遊びも、人との関わりも、ありすぎてどこから手をつければ良いのかがわからないくらいです!!!

 

将来、私がどんな生活、どんな人間になりたいのか?、というのがあれば良いのですが、「組織や個人が目標達成できるようにサポートする」といった具合に大体は思い描くも、そこに向かって「◯◯を頑張る!!」という心境にはならないんですよね。

実感値が湧かない。

 

今できるのは、経験を積むこと

思いついたことを先ずはやってみる。

その際に、

・やってみて、触れてみてなど五感を使って何を感じる?
・また、やってみたい?、触れてみたい? その理由は?
・どうすれば楽しくなる?

といった具合にひたすら自分と向き合うことだと思っています。

ショートカットしたいところではありますが、ここはじっくり進みたいところ。

最初から具体的に言語化することは難しいかもしれませんが、2回、3回、…と回数を積み重ねることで自分が大事にしたいことや実現したいこと、など1歩、2歩先が見えてくるのではないでしょうか?

立ち止まって考えることも大事ですけど、中々思いつかない、まとまらないと思いますので、自分の中に「何かがある」けれど、それがわからないなら、気が付かないなら外に出て刺激を得れば良いと思います。

 

実際に行動する以外にも読書や人との出会いからも

何もかも全て行動して、自分の肌身で感じる・経験を積めれば良いのですが、時間や体力などのリソースが限られているので、難しいでしょう。

そこで、読書や会話などで擬似体験をするという手もあります。

ここに、「自分が何を感じるか?」を知れれば、「経験」という部分は「0」ではなく、「1」だけでも得られている状態だと思うので今後に繋がることでしょう。

 

特に、会話は友人や同僚も良いですが、普段中々言葉を交わすことが少ない方(新たなコミュニティに入る、お店の方、など)と時間を共にすることで、普段は聞けない情報や価値観に触れられたり、新たな問いを立てて貰えたりするので、今までにはない刺激を得られるかもしれません。

もし、人との出会いの際に嫉妬心などネガティブ感情が生まれてしまうという方は、知らない価値観を知れる、刺激を受けられる、考え方や視点の置き方、などが勉強になる、といった「得られる」ところに目を向けると、自分の心を開け今後の活力につながると思います。

 

なぜ「やりたいこと」を探すのか?

人は、欲深い生き物だと思うので、誰しもが「やりたいこと」があるものなのかもしれません。

それとも、YouTubeやTwitterなどのSNSをはじめ、「好きなことをして生きる」というスタイルを確立している方達を見かけ、その方達が輝かしく見え、「自分もこのように生きたい!」と思うからかもしれません。

 

よくよく考えると、赤ちゃんや子供の頃は、やりたいことがあれば泣いたり、怒ったり、など必死で実現に向けて訴えかけていました。

あの手この手を使って、お父さん、お母さんからお金を出してもらい何としてでも「やりたいこと」をやっていましたね。

しかし、年齢を積み重ね、社会に揉まれると人の声や時間からの拘束、自信がないなど何故かそういう思いを忘れてしまう。

本来は、誰れしもがやりたいことがあるのではないかと。

 

ただ、私がそうなのですが「やりたいこと」をやっていたり、持っていたりすると物凄く輝いて、イキイキと見えるんですよね。

だから、自分にも必要だと思い「やりたいこと」探しをするのかもしれません。

さらには、「やりたいこと」をやっていると人生が充実していると思うというのもあります。

今振り返ってみると、旅行や恋愛など「やりたいこと」があれば、その為に高収入の仕事に就いたり、自分で自由に選択できる仕事を選んだりなど実現する為の手段を選べて実現が可能であったり、そこまでの道のりが険しくても充実感に溢れている姿というのが印象的なんですよね。

最後に:他者より「やりたいこと」は何?と問われたとき、について

人と会話していると、『「やりたいこと」は何?』と問われるときがあると思います。

私の心の中、過去の経験にヒントがあったりする可能性がありますが、そういう時って「今まで考えても見つかっていない。今の自分は『経験』が足りない。だから、『経験』を積んでいる/積もうとしている段階なのだ。」と思うことがあります。

しかし、その相手の方は悪気は全くなく恐らく、「やりたいこと」を持っている人と沢山会ってきていることから「やりたいこと」があるのが当たり前と思っているのかもしれません。

 

何が言いたいかというと、「やりたいこと」に囚われすぎず、かつ客観的に見ながら自分の想いに従えば良いということになります。

それに、「やりたいこと」がなくても「ありたい姿」でも良いわけで、人によって将来への見方が異なるので、自分が納得する選択を取れば良いと思います。

 

 

 

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