最近、家族との会話で不必要な反応してしまったので、今回はそのことを記事にしていきたい。
私は、自分に関係ありそうだと思ったことに対しては、ついつい反応してしまい、家族との間では特に姉の言動には反応し、余計な一言を言ってしまうことが多々ある。
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母と姉の会話にて横から入り込む私
母と姉が、前日に夕方頃、2時間近くかかる場所へ買い物に行った。
そして、帰宅が23時近かった。
この話題を母と姉が話していたのだが、そこで私が父親が心配していたこと、そして母親の体力的なところを話し出した。
結果的に、私の方が立場が上(会社でいう上司)で、若干お説教ぽく話してしまった。
(姉に対してはよくある話だ笑)
なるべく”会話”をする
年が上、下関係なく、教えを受ける・教わる、のように師弟関係だったり、上司部下のような上下関係が明確だったりしない限り、”会話”を意識したいものだ。
師弟関係、上下関係であっても、同様なことを意識したいと思っている。
会話というのは、私のイメージとして「言っても、言わなくても支障がない」やり取りだと思っている。
ただ、コミュニケーションを取る上で、「言っても、言わなくても支障がない」やり取りをすることで、リラックスできたり、嬉しい・楽しい・スッキリする、のように感情を開放でき、人とのつながりを感じられるので、実はいいものだったりする。
私の癖として、「実りある」、「次の機会に役立つ」を意識してしまうので、純粋な会話そのものができたらと思う。
自分がみんなの食器を洗わないといけない
たまたま私と姉、母親と食事をするタイミングが被った。
食事するタイミングだけでなく、食べ終わるタイミングも被ってしまった。
母親は、先に食器を洗い場へ持って行っており、その次に私が持って行った。
その際、私は無意識に「ここは姉の食器も洗わないといけない」と思ってしまったのだ。
そう言った時、私は食器を持ってきてもらう、もしくは自分で取りに行かないと気が済まない。
そして、「やりたくないけど、自分がやらないといけない流れ」だと感じてしまい、やりたくない気持ちが強く、結果的に色々と理由をつけ、姉に食器洗いをお願いしてしまった。
時には見て見ぬふりができたら良いのに
姉の分まで食器を洗うか、自分だけの食器を洗うか。
これは、自分で選択ができるのだ。
私は、「見て見ぬふり」をすると、例えば職場で気を遣わないといけない時に気を遣った言動や行動ができなくなる、という考えが出てきてしまい、気がついたら「全てやらないといけない」と思ってしまっている節がある。
ただ、「やらないといけない」と義務感を感じて行動しようとしていると、それは自分自身のストレスになり、自分自身の機嫌を自分で損ねることになる。
そのため、「気がついたけど、やっても良いし、やらなくても良い」と自分に緩い選択肢を持たせる、そんな選択肢を持つことを許すことができたら、気が楽になるのではないかと思う。
最後に:「反応しない」・「義務感を手放す」は難しい
私の気質が関係しているのかわからないが、「反応しない」・「義務感を手放す」というのに難しさを感じる。
人によっては、「反応したくないなら反応しなければ良いじゃん!」、「義務感なんて持つ必要ないでしょ!」と思うかもしれない。
そう思うようなことであっても、ついつい体も心も反応してしまうし、ついつい「〜しなければならない」と義務感を感じてしまう。
自分の人生を通じて、私の体と心・脳みそにインストールされているからだと思う。
果たして、私は「反応しない」、「義務感を手放すこと」ができるのか。
