オンラインでのコミュニケーションは、難しくないですか?!
私は、現在、とある講座に入っているのですが、そこはオンラインで完結しているので基本的には直接面と向かって会うことはないです。
(オフ会がたまに実施されるのでそこで「初めまして!」と挨拶しています)
その講座は、質問したい、有益な情報を届けたい、と思った時にはその専用のチャネルで発信します。
そして、講座の主催者やメンバーはみんなgive精神で溢れていますので、何か投稿したら反応いただける環境となっているのです。
そんな環境に身を置くと思うのが、冒頭のオンラインのコミュニケーションの難しさ、になります。
Contents
質問の投稿があったら何と答える?
やったことがある、解いたことがある問題の質問をしていただくと、それに対して答えたいと思うのですが、いざ文字を入力していくと、
・どうやって解いたっけ?
・自分って感覚で解いているんだな…
・質問の回答には辿り着けなかったけど、途中まではまとめられた。
これの情報っているかな?
などと<相手の為になる>情報を提供できない状態になりました。
こんな時は、どうしたら良いのでしょうか????
相手によると思いますが、私側の人間のスタンスとしてはそれでも<返信する>というのが大事になると思います。
理由①自分の学びのために
これは、相手のことを度外視してしまった答えになりますが、自分自身のために返信するというのはアリだと思います。
何故なら<投稿する>までの過程によって思考の整理につながり、実際に返信すること自体が自分への負荷となり、自分が整理したことが記憶に定着すると思うからです。
しかも、これで万が一、その内容が間違っていたとします。
そうしたら、恥ずかしさから「あ、ヤバい!頑張らないと!」と自分を鼓舞することに繋がると思います。
また、自分への負荷を感じ投稿し、他の人と比較できる状態にすることで「どこを改善すれば良いのか」ということがわかると思います。
これが学びになるはずです。
こういうのは、非常に恥ずかしさを伴う行為だと思うのですが、「恥ずかしいからやりたくない」だと自分の学びに繋がらないので、そこは下記の記事でも書いたように受け止め方を変え、自分のために勇気あるアクションを起こすと自分の身になると思います。
ちなみに、こういう時の受け止め方でいうと例えば「簿記を理解できるようになりたいからやってみる!」、といった具合でしょうか??
懸念としては、「相手にとってプラスにならないと思うから返信をやめよっかな」と思ったときです。
そんな時でも、その時の心理はどこか「自分が恥ずかしい思いをしたくない」というように自分にベクトルが向いている状態の可能性があるので、何かを身につけたい、という思いがあるなら質問の答えになっていなくても、「ここまでならできました!」と途中経過だけでも場合によっては相手のためになるかもしれませんね。
理由②相手とのコミュニケーションのために
オンライン上のコミュニティになると、相手の様子を伺えない分、反応をすることで、
・見てくれているんだ!
・忙しいのに返信してくれて嬉しい!
・また何か質問したいと思ったらチャットしよう!
などとちょっとした心の繋がりを感じられる場合だってあります。
しかも、それはその投稿してくださっただけでなく、それを見ている人にも伝播していくはず。
そうすることで、困った時に助け合える、そんな環境が出来上がります。
なので、状況だけでも連絡することで場合によっては、相手がどう思うかわからないけど、感情のキャッチボールができ、それが活力を生み出すエネルギーとなることでしょう。
それに、マイナス(心を傷つけるとか)でないなら何を思われようとやってみるという行為でオッケーかと。
回答する、しない、で迷った時はどうするのか?
迷うということは、選択肢(どんな反応を得られるかといった想像含め)がありどっちにもメリット、デメリットを感じている状態だと思います。
立ち止まっていては、実際に行動した結果が実際どうなのかがわからないので、わかるために踏み出す、自分にとって負荷のかかることをやる、というのが良いのでは?
自分が行動した結果を報告する、ということだけでも、相手にとっては何か気づきになるかもしれませんし、自分にとっては羞恥心が生まれ、それが学びにつながると思いますし。
しかも、自分自身が投稿したことで相手からさらに深掘りした反応を得られたら、周りの人だって別の角度で回答ができたりします。
最後に:オンラインのコミュニケーションは難しい
これは人それぞれだと思います。
コミュニケーションは、リアルでもオンラインでも難しく感じます。
それは、一番は”空気感”になるでしょう。
その”空気感”は、コミュニティや人によって異なるため、自ら踏み出して景色を見てみる、という姿勢は非常に大事だと思います。
頭の中の妄想で片付けようとすると、どうしても悪い方向に考えがちですし、ストレスだって溜まります。
そんな風に考えてみると、”羞恥心”というのは場合によっては学びになるので大切なのかもしれません。