メンタル心理カウンセラーなどの資格を持ち、心理学を中心とした学びを通じて色々な方の心を救われているRyotaさん。
今回は、Ryotaさんの著書である『真面目なままで少しだけゆるく生きてみることにした』から得た気づきを書いていこうと思う。
自分のステータスは「真面目」「頑張る」「努力家」
私は、家族や職場の方から「真面目な性格」だと言われる。
また、自分自身、繊細さを持っているような気がしている。
これまで周りに置いて行かれないように簿記1級の勉強したり、将来が少しでも楽になれたらと思いブログなどのお金稼ぎをやったりしてきた。
しかし、どれも義務感を感じてやってきたように思える。
簿記1級は、範囲が広く、2級とは違った理解を求められるし、当時所属していた会計系の社会人コミュニティの受講生の頑張りも併せ、「気を抜きたいけど、手を動かさないとヤバい!」と危機感や不安を感じて取り組んでいた。
ブログもコミュニティに属していて、そこのトップの方から「見放されたくない」という思い、トップの方からビジネスや生き方を学びたい、といった思いから休日は記事作成に時間を割いていた。
これらを含め、どの活動も「周りの目」「周りの声(やり方)」を軸に、自分の活動を進めていたと思う。
基準は「自分」ではなく、「周りの人」だったので、『真面目なままで少しだけゆるく生きてみることにした』を読んだとき、この中にある言葉を借りると、当時の私は、
頑張りをステータスとする考え
引用:『真面目なままで少しだけゆるく生きてみることにした』
というので活動していたと感じた。
学生時代の学校や野球の活動では、周囲から「真面目」や「努力家」といういわゆる「頑張る」という一面が評価されてきた。
そして、仕事し始めてからも同じ。
それがそれらが私を表す言葉であり、手放してはいけないものだと無意識に思っていただろう。
だからこそ、休むこと、手を抜くことに罪悪感を感じてきた。
簿記1級の学習、ブログ更新は、6カ月以上続けることができた。
もちろん、必要な環境に身を置き、自分がそこに併せた行動ができたからだと思う。
しかし、何か身についたかというとそんなことはない。
また、当時の自分を振り返ると、簿記1級やブログに対して、例えば「新しい知識が知れ楽しい」「記事を書いたときに達成感がある」といった前向きな感情はなかった。
とにかく、淡々とやっていた感じだ。何か自信になることがあったかというとそんなことはない。
本書を読み進めたとき、「自分にとって”できる」ではなく、「周りが求める”できる”」で活動していたからだと感じた。
「『無理したらできる』はできるではない」
引用:『真面目なままで少しだけゆるく生きてみることにした』
という言葉が載っていたが、私は「無理したからできただけ」なのかもしれない。
「『自分にとってできる』で十分」と思えたら、学ぶことなど日々の活動そのものに着目できたのではないか。
最後に:今後の課題は自分軸で取り組み、続けること
今後の課題は、「自分ができる範囲で取り組み、自分ができる範囲で続ける」ということだ。
そして、今までの真面目な自分を少し緩める、ことを許すのも必要になってくる。
周りと比較すると、牛歩かもしれないが、これらが実践できた暁には今では信じられない知識やスキルが身に付き、新たなステータスを手に入れられるだろう。

