私は、高校時代、3年間野球部のマネージャーを務めました。しかも、寮生活を選びました。
今思えば、良い経験をさせてもらったし、今となっては仕事選びの軸はマネージャーの経験が元となっています。
そんなマネージャーの経験をした私ですが、今の私が当時の私に言葉を投げかけるなら、
チームや選手のことを思ってやれ!
ということになります。
Contents
先ずは簡単に自己紹介
マネージャーといえば、皆さんはどんな人がやると思いますか?
・女子がやる
・男子がやるなら怪我をした人がやる
といったイメージが強くないですか?
私は、どれも当てはまりません!
・男子
・中学校時代、怪我して裏方したけど既に完治している
・クラブチーム出身
簡単にいうと、こんな感じ。
当時はこんなことを考えていた!
引退するまで常に思っていたのが、
監督・コーチ・選手から必要とするマネージャーになる
になります。
しかし、今思えば当時の私は、「【自分が】活躍する」というのを念頭に置いているんですよね。
何故このように思ったのか?
それは、2つ上の先輩の存在感がとてつもなくあり、その先輩の活躍ぶりを誰しもが求めており、自分もそうなりたいと思ったからです。
(その方も男子です。)
当時の私から見ても、
・気が利く
・選手への声かけが明るいし、ふと気を抜ける。頼り甲斐がある。
・冷静、沈着でミスしない。
といったところを感じており、監督・コーチ・選手・父母・メディアなどから人気者でした。
なので、私も先輩のように【必要とされたい!】と思ったのです。
しかも、その日の学び(言われたこと、経験したこと)をノートにまとめるほど【必要とされる為に】自己啓発に取り掛かっていました。
何がいけないのか?
【必要とされたい】というのは、自分が活躍したいという思いから来ています。
これは、決して悪いことではありません。
むしろ、その思いがあるから辛いことがあっても頑張れるのです。
しかし、マネージャーの役割とは少々違うと思うんですよね。
一人ひとりが”役割”や”やること”に専念する環境を作り、チームが勝てるようサポートする
というのが私の考えるマネージャーの役割です。(人それぞれ定義は異なります。)
そう考えた時、【必要とされたい】というのは関係がなく、
・選手が練習に専念するには?
・監督・コーチ、選手が何を求めているのか?
・そもそも、監督・コーチ、選手、一人ひとりはどんな人なのか?
・大会に向けて準備することは?
・部のことで改善するべきことは何か?
といった部全体、一人ひとりのことを考えて思考・行動する必要があると思うのです。
マネージャーをやっているのは人であり、「認められたい」、「必要とされたい」といった外からの評価は気になりますし、欲しいですよね。
(現役時代は、常に「俺ってどんな評価なの?」と部員に聞いていましたw)
こういう声が、やりがいを感じられたり、頑張ろうと奮起できます。
ただ、極端に言うとマネージャー1人の活躍ではなく、【マネージャー】というチームで活躍・貢献することが部全体、一人ひとりのためですし、それが【マネージャー】というチームにいる個人個人の評価につながるのではないかと思います。
心の矢印を外に向けるには?
【必要とされたい】という考え方は、自身を高める上で必要な考え方だと思うので、変えた方が良いとは思いません。
しかし、自分自身に向いている矢印を少しでも、徐々にでも部全体や一人ひとりに向けることで、
・選手のことを知ろうと会話できる
・部の運営の中で改善するところは改善できる。できなくても、改善しようと考えられる。
・父母や監督・コーチに話しかけるなど、苦手なことがあっても1歩踏み出すきっかけになる。
というメリットがあります。
その為には、”未来”、に対する目的を考えることだと思います。
目的を考えた方が良いと思う理由
それは、「今やっていることは何のためなのか?」という意味づけができ、自分の役割を考え実行できると思うからです。
未来:チームはどうなって欲しいのか?、選手にどうなって欲しいのか?
これを考えることで、「今自分がやるべきことは?」が見えてくると思います。
当時の私ならこのように考えると思います。
チームが甲子園で勝つ
→その為には、選手や監督・コーチがやるべきことに専念する必要がある。
しかし、今の自分はまだ一人ひとりのことを知らないから、コミュニケーションを計ろう!会話する機会を増やそう!
そして、考えてみたことで徐々に実際にやるべきアクションが見えたり、見えなくても会話の内容が変わったりすると思います。
また、今いる環境・今起こっている苦難や悔しい思いへの解釈の仕方が前向きになることもあるのではないでしょうか?
【自分がチームから必要とされたい】と思った弊害
ここからは、実際に【自分がチームから必要とされたい】と思ったことへの弊害を紹介していきますねw
改めてお伝えしますが、このように思うことは決して悪いことではありません。
しかし、【自分への思い+外への思い】のバランスは整えた方が良いと思います。
※「自分がチームから必要とされたい」と思うと、理由はわかりませんが自分で自分の首を絞めているかのように苦しかった記憶があります。
挑戦できない
何故かというと、失敗したことによる周囲からの言葉を気にしてしまうからです。
反論や指摘があると、「相手に迷惑がかかっている(=自分は必要とされていない?)」と認識してしまうのです。
当時の私にとっての挑戦は、コミュニケーションを取ることです。
今でもそうですが、何事においても黙々と作業をする・考えることが多い私にとっては積極的に人とコミュニケーションを取るというのは敷居が高い部類にあたります。
(ただし、人と関わることは好きです!)
特に、
・監督やコーチ・父母の方達と世間話をしたり、分からないことを質問する
・選手と砕けた会話
が物凄く苦手でした。
「私の一言で相手を傷つけたくない」、「機嫌を損ねたくない」と真面目に考えていた私は、監督・コーチとの会話へ発した言葉のメインは「はい」という相槌なのか、返事なのかわかりませんが常にこの言葉ばかりでした。
しかも、もぞもぞとしており自身のなさが垣間見えたと思います。
この自分を変えようと思っても、ダメだった時の相手の反応を気にしすぎて変化を及ぼすことができなかったんですよね。
今思えば、会話することに対して、
・正確なスコアを書くために質問する!
・選手のことを知るために一言でも良いから声をかけよう!
と他者のためにという動機付けができたら自身を変えられたのではないかと思っています。
後輩に指導しない
「えっ?、やらないの?」と思われた方、私はやれませんでした!
何故かというと「チームへの存在感を抜かれたくない、後輩が選手などから良く思われている光景を見たくない」と思っていたからです!
その為、
・本来部室にいないといけないのに見つけた仕事をやって監督から注意される
・備品管理ができておらず、紛失したり揃えたりすることができていない
などといったマイナスに働く出来事がありました。
これは、「自分がチームに貢献する、必要とされること」にプライドがあり、立場の保身だと思います。
後輩を指導することで、
・自分の知識や経験を振り返られる
・自分が他の仕事をしていても、マネージャーの仕事を問題なく回せる
・後輩からの指摘等で新たなアイデアが浮かぶ
などチームを支える上でも、そして自分自身にとってもプラスに働くんですよね。
今、当時の私に声をかけるなら「後輩に抜かれても良いから教えろ!それがチームの為だ!」と言いたいですね。
最後に:良いチームには良いマネージャーがいる
この言葉は、中学校時代、クラブチームでお世話になった方から言われた一言になります。
「良い」という定義は人それぞれになりますし、チームの強い・弱い、というのは全く関係ないです。
高校や大学で勝ち上がるチームを見聞きした時、勝ち上がるチームには良いマネージャーがいます。
それは、チームが勝つ為に必死ですし、会話していると自然と主語が他者なんですよね。
(当の本人は、「しんどい」、「早く引退したい」と言っていますが…。)
だからこそ、自分がどんなに苦労しても頑張れるんだと思います。
以上となりますが、今回の私の経験談がプラスに働きましたら幸いです。
引退するまで後悔のないよう頑張ってください!