日記ブログを書く気力が湧いてこない。今後は更新頻度を落として取り組んでみる。

11月6日(木)から更新していたが、今後は、更新頻度を少なくしていこうと思う。

12月5日(金)に記事を書いていたときに、ふと記事を書く気力がなく、やらされている感、義務感で更新していることを感じた。

そこで、自己整理のためにも今回の件を記事にまとめていこうと思う。

 

 

「継続して取り組まないと!」がプレッシャーに

約1ヶ月間、ほぼ毎日記事更新をしてきた。

当初、記事を書く時は、「このネタを書きたい」と思った内容を記事にしており、それがたくさんあった。

毎日のように思い浮かんでいた。

 

しかし、気がついたら思い浮かんでも「これを記事にしなきゃいけないのか…」と記事を書くことに負担を感じてきていた。

さらには、「ネタがあるなら記事を書かないと!」と記事を書くことそのものが義務になっていた。

また、記事を書くのに大体は2時間以内で収まるが、たま〜に気合が入っていると6時間とかかけてしまうことがあった。

先々を考えた時に、ブログは書きたいけど2時間以上もかけてしまうことが増えてきてしまうと、他のことに時間を割けなくなってしまう。

そして、そういった更新までに長時間要してしまう可能性があると考えた時に、記事を書くことが重荷になってきた。

さらに、これは私の思考の癖になるが、

・始めたことは続けないといけないと思ってしまう
・何日か続けられたら、途中で手を止めることが嫌になる

といった「継続」への壁もあり、これも自分自身を苦しめていたと思う。

 

今の私にとって義務感でやる行動はダメみたい

休職中の私にとって「やらなければならないこと」という義務・義務感は、天敵になる。

やりたいことなら無理のない範囲でやって良いのだが、義務・義務感は心の回復を阻んでしまう模様だ。

それなら、継続するしない、と言うのは考えず自分のペースで、取り組めればそれで十分だと思う。

 

 

当ブログを更新する理由

私が記事を書く理由はこちらだ。

・言語化能力をつけたい
・自分が経験したこと、感じたことを将来の自分に役立てたい
・過去に紙媒体(ノート)へ書いていたが、管理が大変のためブログへ書いている

 

私は、その日の出来事、出来事から感じたことなどをスマホの日記アプリやスマホのメモ帳へ書いている。
(自分が「これ書いておこう!」と思ったことを書いている。)

あくまで自分の経験が軸となっている。

そして、ブログにはメモした中で直感的に「これはブログへ残しておきたい」と思ったのを書いているのだ。

 

更新頻度を気にする必要はなくない?大事なのは自分自身と向き合う力では?

そもそも、日記ブログは毎日更新する必要があるのかというと…「その日あった出来事を書いて楽しんでいる!」という方は毎日更新した方が良いと思う。

ただ、私は思い出を記録するだったり、自分自身と向き合うだったり、「自分の感情・思考」がネタにつながっている。

それならば、更新頻度を気にする必要は無いし、それよりも「自分と向き合う力」が必要だと思うのだ。

記事を書きながら、イメージを膨らませたり、過去の自分の経験と絡めたり、今後どうしていきたいのかを考えてみたり、こういったことって自分が思っているよりもエネルギーが必要だと思う。

だからこそ、更新頻度は気にしてはいけない。

 

それに、更新頻度を上げる話は、ブログを書くことに対して習慣づけができていない人が気にした方が良いケースがあると思う。

しかし、私は書こうと思えば書けると考えているので、「更新頻度を上げなくちゃ!」「今日休んだら、明日以降書けないと思う…」といった考えは不要ではないか。

 

事前に予定を立てることへ圧迫感を感じる!ネタの管理法はどうするのか?

私は、この1ヶ月間にネタが思い浮かんだら、いつその記事を書くのか、と言うのをGoogleカレンダーへ入れていた。

しかし、今となってはその行為自体も体が受け付けない状況だ。

1日前だったら平気かもしれないが、基本的にはNGに。

予定を入れていた理由としては、ネタにも食品と同じで賞味期限があるのではないかと考えており、そのネタを1日でも早く記事にすることで、自分自身が思いを込めてかけると考えていたからだ。

そこで、今後はnotionを活用して書けそうなネタの管理を行っていこうと思う。

こうすれば、その時点のネタの蓄積を視覚ができ、かつ、その中から自分が書きたいと思ったネタを選べば良いのだ。

 

 

私の特徴:最大限やるのは限度を知るため?

私は、過去を振り返ってみると今回のようにふとした瞬間に力が抜けたり、無気力状態になったりしたことがある。

何故そこまでやってしまうのかというと、

・夢中で走っており、手を止める理由がわからない(良い意味で熱が入っている)
・自分が気がついたことは全て正しいこと、やる必要があると考えてしまう

といった取り組んでいることへの受け入れ方がマックスな状態だからだ。

だから、何を手放して良いのかわからないし、休むことだって罪悪感を感じてしまう。

また、ネット上や今まで関わってくださった方からは「毎日続けないと身につかない!」と言われており、「手を抜いてはいけない」、「休んではいけない」と考えてしまっていた。

 

ただ、そこまでしてやることで、自分の限界を知れるはず。

そして、そこから自分にとって継続しやすいやり方を見つけていけば良いと思う。

牛歩になっても良い。週に1回、1時間しか作業ができなくても良い。

 

過去にブログで稼ごうとしたり、プログラミングや簿記1級を勉強してきたが、どれも可能な限り最大限時間を投下してきた。

しかし、途中で自分が成果を成果を上げられていないことに気が付いたり、取り組んでいたことへの熱量が下がってきたりして、「自分には合わない」と思ってしまったことも。

プログラミングは、これで辞めてしまった。

 

今言えるのは、その状態までやれたことに自分を褒めてあげ、活動量が下がって成果物を完成できなくても、決めた期間は自分なりのペースで進められたと思うということだ。

それに、ある程度出だしで自分の最大限の力を発揮できるという特徴を活かせば、自分なりの勝利の方程式を考えられるのではないか。

 

自分は効率良くやりたいわけじゃない。気持ちよく取り組みたいだけ?

私は、簿記2級の勉強で6ヶ月間くらいの期間で300時間くらいしか勉強時間を投下できていなかった。

コミュニティに入って、「6ヶ月で300時間は少なすぎ。これでは効率良くやろうと思っても無理」と言われた。

当時、ブログで稼ごうとしていた時期とバッティングしていたため、土日は両方に時間を割いていたこともあり、時間数としては少なかった。

今思うと、私という人間は、効率良くやりたいのではなく、「気持ちよく精度ある取り組みたい」のではないか。

もちろん、勉強時間が少ないのは言うまでもない。何も言い訳はできない。

ただ、一見、効率良く取り組もうとしているけど、実は効率の良さよりも気持ちよく精度ある取り組みをしたいと思っていたと思うのだ。
(もしかすると、精度の良さは効率の良さに通じるかもしれないが、私はその自覚がない…)

このことは、今回の日記ブログ(当ブログ)でも同じ。

何かに追われて取り組むのではなく、ちゃんと自分と向き合い、考えながら記事を書いていきたい。だから、自分でかけたプレッシャーに嫌気を感じたと思う。

今の自分にとっては、自分の行動や積み重ねたことへ納得感を得たく、その為には気持ちの良さを感じられ、かつ、自分で考えて取り組む、と言うのが取り組む軸になるのかもしれない。

 

最後に:人は周りに気を配れるくらいの余裕が必要かもしれない。

今後のブログの更新について考えていた時、イライラしたり、どうやって進めていけば良いのかわからず、ただ、ブログは書いていきたいと考えており、葛藤していた。

その時の自分は、全く余裕なんてない。

気持ちや考えに余裕が持てると、掃除できたり、自分の体を労われたり、人の話を聞けたり、食事をご馳走できたりする。

疲れたり、ストレスを感じるとこの余裕がなくなってしまう。

今の自分には、考えや心に余裕を持ち続けストレスを溜めない、と言う生き方が必要な気がする。

 

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