【しゃぶ菜で感じたこと】”自分のペース”で進められる、これが自分の肝なのかもしれない

とある場所のららぽーとにあるフードコートへ行った時に、しゃぶ菜を見つけ、急にしゃぶしゃぶを食べたくなった。

そして、1週間くらい経った後に、1人でふらっとしゃぶ菜でランチをした。

時間が許す限りお肉と野菜を無心で茹でて、食べ続けた。お腹が苦しくなり夜ご飯が食べられないくらい頬張った。

食べ終わった後は、満足感とかはなく、ただただ私の中でその日に予定していた「タスクが終わった」と感じただけだった。

 

 

翌日、しゃぶ菜へ行って良かったと思えた瞬間があった。

無心に自分のペースで食べられる。
自分のペースで、自分が食べたいと思った食材を取りに行く、それを自分の感覚で茹でて食べる。
これが妙によかった。

 

「自分のペースで」というのがポイントなのかもしれない。
(無心の時って、何も着飾る必要ない状態なのか…?)

私は、人に指図されたくない、のかもしれない。もしくは、人に指図されず、自分のペースで取り組める、そんな時間が自分にとって必要なのかもしれない。求めていることなのかもしれない。

自分は自分のペースで前に進められる。

野球の練習だって、「やらないと気が済まない」と思ってプライベートの時間を使って壁当てしたり、素振りしたりしていた。
夜間練習が終わった後には、素振りしたり、筋トレしたりしていた。

確かに、「やらないと怒られる」みたいな恐怖心があったけど、無心で振り続けたし、無心でボールを壁に当て続け、跳ね返ったボールを追いかけていた。

簿記2級の試験勉強だって合格して、未経験経理で転職活動をやりたいと思い、ひたすら過去問を解いていた。
(理解して進めろよ!と思うくらい、機械的に無心で解いていたと振り返ると思う。)

自分の意思で決めたことなら、ある程度の負荷を自分でかけて進められる気がするのだ。

 

他にも、電車に乗ったり、歩いたりしているときに景色を、子供の無邪気な姿・行動を見る。お母さんと子供の会話を聞く。

これらって私にとってその場を自然に味わえることだったりする。

何か目的や目標といった建設的なことを考えず、ただひたすら目の前のことに取り組む。心の矢印が向いたことを触れてみる。
それを意識的に良しとできたら、仕事もプライベートも気楽に過ごせるのか。

 

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