集団生活の行動について

私は、とある講座にいる。

その講座は、1人ひとりの人生に合わせて勉強内容などをカスタマイズできる。

なので、税理士目指す人もいればTOEICの受験を目標にしている人だっている。

そんな講座の中で、私は1つの過ちを犯してしまったのだ。

 

 

講座の士気を下げてしまった

講座全体でやっていこう!、という役割を<やらない>と言ってしまったのだ。

理由は、正直言ってその役割をやる理由が分からなかったからだ。

その役割とは、勉強する時の号令係であり、主催者の方曰く、過去に教えていた方が学習と休憩の開始に号令があった方が集中できるとのことで、始まったらしい。

その号令を行うタイミングは、その係に当たった人のさじ加減で決めれば良い。

私は、早朝の時間帯に実施しており、当たり前だがその時間帯に勉強している人は皆無だ。

時間帯をずらせば良いのだが、自分のルーティンを崩したくなく、しかも、号令係がいたからといって何か講座のためになるのかというとそんなことないと思ったので、辞退したわけだ。

しかし、この行動に対して反発があったのだ。

 

<反発理由>

とあるメンバーから直接聞いた話だ。

・講座にいれるのは主催者である方の好意である
⇨指定の期間を終えたにも関わらず、希望者のみ無料でコンテンツを受けられるのに、講座に対してGIVEできないのはおかしいのではないか?

・1回3時間も時間を使う場があるのに、1回1時間、しかも1ヶ月に1回回ってくるかどうかの当番をやらないのはナンセンスだ!

・当番の日に行動を合わせるのは、自分が目指す試験などの本番に会社を休むのと同じではないか?

・気が散るというのは、頑張っている人に対して失礼ではないか?

・日々不確定要素が多い、というけど、明日が思い通りに行くなんて、誰もわからなくない?私は暇に見えるのか?

・皆さんに迷惑をかけたくない、他のことなら力になります、と言うけど迷惑以前に頑張っている人へ失礼!
力になりますというのは、上からの目線!

 

 

私自身に対するフィードバック

講座の行動は、個人と思いつつ、集団なんだと思う。

日々の活動は、自分との戦いになる為、自分を満たせるか、どうかは一つの鍵になる。

しかし、もう少し大きく見てみると、その積み重ね、さらには講座の仕組みに身を委ねることは自分➕他者、を満たすものに。

何が言いたいかというと、会社組織・部活動と同じであるということ。

1つひとつのタスク、仕組みに疑問を感じることは主催者に対して良い反応だと思う。
(何が何でもその人が正しい、では自走できないから嫌がるかと)

ただ、主催者の考えを理解する、というのは必要。

それを理解した上でこの講座に居続けるなら従うことがコミュニケーションの1つだし、主催者以外と一緒に進む、心強い仲間になるのではないか?

嫌なことでも、それは個人で見た目線であり、やっている活動が講座全体であるならやった方が一体感を得られたり、「講座から離れない」キッカケになるかと。

離れたいと思った時に、人の目を意識したり、楽じゃないけど続けてきたことへ喜び、負荷が減ることへの物足りなさ、を感じて「辛いからやめる」を避けることになるのではないか?

貢献したいしたいことでできない、ならできないならやめる、これって今までと同じ。

目標がありその集団にいるメリットは高校野球を思い返せばいいと思う。

 

高校野球

野球だってみんなで目標に向かってやっていた。

キャプテンがこれをやろうと言ったことに対して、それとは異なることをやる、後輩に対して暴力を振るう、となると

空気が乱れる。新海さんの代では、それで3人くらいは辞めている。

役割を見出せないの例)

グラウンド整備、ボール拾い、ティー上げなどなど

レギュラーメンバーではない人間からしたらメインでやるようなことだから嫌だと思うけど、【これをやらない】となるとその場の空気が乱れる。

みんなで甲子園を目指しているなら、そういうことをするから場が引き締まる。

特別なことはしなくても良い。

自分ができることを続ける、自分ができることで周りと一緒に頑張る。

 

今後の自分

講座のために俺がやる必要あるのか、と思った時は、みんなにギブしようとした姿勢、行動、発信がゆくゆくは自分に返ってくる、というのを念頭に考えたい。

ここで(この場で)やる必要ある?と思っても、それはみんなのため、自分のために、と考えてみる。

みんなで集まる予定があって、店選びをやってみようと思ったけど、勉強に時間を費やしたい中で講座関係(他人に貢献する)をやることって必要な行動だと思った。

それに、時間の使い方として全て勉強に費やせているかというとそんなことない。

強制力が働く分、集中して取り組めるのでは?

号令係に意味があるとすれば、やることによって勉強習慣が身につく人がいて救われる人がいるかもしれない。ということかと。

メンバーが人と一緒にやれていることに嬉しい、と言っているのを見ると目標は違えど集団で頑張る、そんな組織なんだと思った。

みんなで頑張る権利が号令係にある。

頑張ることで自分のためになるし、周りのためにもなる。

講座に属して、かつみんなで進捗共有したり、困った時に手をあげたりする、といった時間の使い方を考えると、講座にいる限り自分たちのリソースは自分だけのものではない。

やる意味を感じない、それなら会社でやる意味を感じない商材だったらそれは、会社に対して貢献しないということなのか?

 

最後に:今回、自分の思いを表に発信できてよかった

行動したことで自分に対してフィードバックできた。

心のうちに秘めていても何も得られなかったと思う。

行動は集団も個人も入り混じっている。

走り切るには周りの人と同じことをする、してもらっている、というのが支えになるのかもしれない。

嫌だけどやる、というのは自我を殺す、ことになるだろうからビジネスと似ていると思う。

そして、この動画と似ている。

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