<物価高など>自分ではコントロールできないところに恐怖や不安が生まれる

ニュースを観たり、お店に行ったりすると物価高というのを現実的に肌身で感じます。

最近、ラーメン屋さんへ行ったのですが、500円くらいで食べられていたのが800円くらいに値上げされていました。
(300円も変わるので、6割UPということになります)

その時、感じたのが「経営が苦しくなる」、「食べたいものが食べられなくなる」という「恐怖」、「不安」でした。

【お店側の視点】
お店を経営されている方からすると、仕入れ値が上がり、値上げせざる負えない状況ということは場合によってはお客様の出入りが少なくなる恐れがある。

そうすると、収益が減り、自身の生活がままならなくなってしまう。

お店自体の経営が難しくなることも。

【お客様側の視点】
値上げされてしまったことによる食べたい物が食べたいと思えなくなる。

食べたとしても、行く頻度が減ることにも。

 

このようにネガティブな方向へ考えてしまう訳ですが、実際にはお店側の方もお客様側の方もどんな思いを抱いているのかは分かりません。

お客様の出入りは減っても、今までより1回1回の料理を丁寧にできる、ということだってあり、それがその人の心を満たすことにつながっているかもしれません。

 

私は、普段とは異なる状況に陥り、それが「苦しくなる」方向へ進むと感じるとついついネガティブな発想をしてしまうんですよね。

今までの「当たり前」が「そうではない」と思ってしまうから。

 

今回の件で言うと、事実を事実として受け止める、500円だったのが800円になっていたという事実をそのまま受け止める、だけでなくそれに対して自分の解釈を付け加えた。(経営が苦しくなるんだろうな)

これ自体は、仕方ないことですし、間違っているとは思いません。

このような考え方ができるからこそ、「値上げしているけど給料が増えないから、副業頑張らないと!」と対抗する策を考えられますよね。

 

ただ、「値上げ」というのは私個人ではどんな手を打とうと思ってもその事実は変えられない。

現実を受け止め、前に進むことができたら「恐怖」や「不安」を忘れられる、気にならなくなるのではないか?

今回のラーメン屋のお話で言うと、全く行けなくなる、ではなく、行く頻度が減る、だけ。

 

うまい具合に「今まで当たり前にできていたこと」を100とし、「全くできない」を0とした時にその中間である50の位置の捉え方・解釈を見つけられると「恐怖」や「不安」を和らげられるのかもしれません。

自分ではコントロールできないことに対してなら尚更だと思います。

 

そう言えば、物価高で今まで平気でお金を投じられていたところにお金を使えなくなった場合、今までの当たり前が覆されていると言えると思います。

ただ、

・本当に自分にとって必要なことは何か?
・これか適応していく為にどうやって給料や収入を上げていくか?
・休日の過ごし方はどうするか?

などを考えるきっかけになるでしょう。

そう考えると、自分の考えや行動を見直す良いきっかけになるのかもしれませんね。

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