『やりたいことなんてなくていい。』
このタイトルの本を読んだのは、今の自分に必要なことが書かれているのではないか?、と思ったからです。
実際に、やりたいことはなくても今やれることを全力でやることで、やりたいこと、さらに進みたい道が見つかる可能性がある、ということが書かれており「こんな生き方もあるのか!」と思いました。
しかし、それだけでなく人間関係についても書かれており、最近、うっすらと感じていたことが書かれていたので記事にしてみました!
誰が相手でもフラットに関わること!
私は、人と接する時は、
・過去の経歴や学歴
・実績
・どんなことをしてきたか?
などその人の過去や持っている錯覚資産を気にしてしまいます。
また、それだけでなく、その人が持つ雰囲気や言葉遣いなどその人の「今」にも目を向けます。(無意識に。)
(全部じゃないか!!)
こんなことをしていると、場合によっては緊張して思考停止になり言葉が出てこない、相手の意見が全て正しい、など相手を変に持ち上げてしまいます。
しかし、この状態を自分と相手を
「たしかにあなたはすごいけど、私は私なりの考えを持っている」
「あなたは成功していて、有名かもしれないが、私にも好きなこと、得意なことがある」
といった具合に同等に、フラットな姿勢で見てみるといかがでしょうか?
相手を持ち上げてしまっている状態よりは、緊張度は下がり、自身の意見を述べることはできると思います。
人は、今まで生きてきた人生、感じてきたこと、など世界の人口約80億人いるので、80億通りがあります。
いくら「凄い」と感じる人でも、それはその人の中の一部分であり、そうではない面だってあります。
確かに、そういった人が放つ言葉や雰囲気というのは、凄みを感じることでしょう。
(圧倒されすぎて反論できないことが多々あります!)
それでも、自分は相手が生きてきていない人生を歩んでおり、得られていない・経験していないことを見て・感じてきているのです。
ここに、凄い・凄くない、という線引きは出来ず、どんな人生を歩んできていても相手には歩んできていない人生を歩んできているため、フラットな姿勢で双方を見ることがコミュニケーションを取りやすくする秘訣だと感じました。
だとしても何をすれば良いのか?
こんなこと思いませんか?
自分ができることをすれば良いと思います。
無理に凄いことをしよう、目立とう、とせずできることをする。
例)
・相手の話を聞く
・相手の話に対して自分の意見を言う
・会食しているなら飲み物や食べ物の不足に気づき、頼む
といったところでしょうか?
私は、他の方とのコミュニケーションを図る上で、
・相手が学びあることを言わないといけない
・好かれるようにしないと!
といった具合に特別なことをしようと考えてしまうところがあります。
だからこそ、思考停止したり、緊張したりしてしまうと思っています。
コミュニケーションを図る上では、特別なことをしようとせず先ずは自分ができることをやり、その場その場で、
・◯◯という時には〜をすれば良いのか!
・〜ということが必要なのか!
といった具合に都度気づきを得て、次の機会に生かせば良いのではないでしょうか?
フラットな関係がいづれは転機になる
『やりたいことなんてなくていい。』の中では、フラットな関係がいづれは転機になると書かれています。
「凄い」と思われている側の人からすると、そのように思われることで気分としては良いですが付き合いづらさというのを感じると思います。
しかし、フラットな関係ですと声をかけやすくなり、場合によっては、
・転職の力になろう!
・新たな人を紹介しよう!
・人生相談に乗ってあげよう!
などと力を貸してあげたい!、と思うかもしれません。
もちろん、人間関係においてフラットに接するというのはたくさんある要素の中の一部分でしかないと思いますが、必要な要素であることは間違い無いと思います。
私は、ついつい目の前の人を意識して平常心でいられなくなるというのがありますが、「どんな人に対してもフラットに接する」というのは意識していきたいと思います!
最後に:エネルギーの交換が必要なのではないか?
人との会話や会食時のちょっとした気遣い…。
こういった場面で、もし、
・声をかけても無言
・何も気がつかない
といった「無」の状態ですと皆さんはどのように思いますでしょうか?
・虚しくなる
・その場から逃げ出したい
などとその場が負の時間になってしまうことでしょう。
もしかすると、人間関係において野球でいうキャッチボールの要素が必要なんだと思います。
意見を言ったり、相手の状況に目をやったり…。
これが、その場にいる人の気持ちを和らげたり、楽しませたりといったgiveに繋がるのかもしれません。
そして、長い目で見た時に一つの転機が訪れるのではないでしょうか?