「意志」と「意思」は、似たような言葉であり意味は異なります。
日々、生活する中で人と関わり、仕事など物事へ取り組んだりする中で、この2つのイシを持つことが大事だと感じます。
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「意志」と「意思」の意味は?
「イシが大事」と聞くと、2つの「イシ」を思い浮かべるでしょう。
・「意志」:思考よりも目標や目的といった対象へ矢印が向いている様子。
積極的で行動に移そうとしている。
例文)意志が弱い。
優勝するという強い意志を持って試合に取り組む
・「意思」:鮮明さは問わず、頭の中で考えていること。
頭の中で考えが浮かんでいる状態。
例文)意思疎通が取れていないため、仕事が滞る。
意思表示をする。
どちらも大事なのですが、今回は「意思」という言葉に重きを置いていうこうと思います。
「意思」を持つことは大事だと感じる
この「意思」は、自分自身がどのように思っているのか?という心境を表すと思います。
仕事を始め、何に取り組むにしても、そして何を発言するにも「なんとなく」でやれてしまいませんか?
「無」の境地だと言えるかもしれません。
自分がとった行動や発言したことに対して、「何故それをやったのか?」、「何故そう思ったのか?」と問うと場合によっては何もする気が起きなくなるでしょう。
最悪の場合、生きる意味を失うことにも繋がりかねない…。
それでも、「意思」を持つことは、コミュニケーションや物事へ取り組む際に役立つと思うので大事だと思うのです。
コミュニケーション
人と会話していると、「何でそれをやったの?」と問われるときありませんか?
内心、「なんとなくだよ!!!」と言いたくなりますw
(私だけでないはず!!!)
しかし、自分の「意思」を伝えることで相手は親しみを感じやすくなり関係を続けたいと思っていただけるかもしれません。
また、自分自身の年齢やフェーズが上がる時に「意思」表示を行えないと「この人と一緒にいても意味ないな…」と思われてしまうでしょう。
(「何も考えない人」と見られることが…)
異性と交流するときに、「何で野球が好きなの?」という趣味の話になったとします。
そこで、「何となく楽しいんだよね〜」と言ったらどうでしょう。
「この人つまらないな〜」となることが想像できます。
もしそれが恋活や婚活の中の出来事であり、意中の相手だったら…。
こんな風に考えると、相手に有益な情報を与える意味合いが強くなると思います。
しかし、そんなことはありません。
というかそう思いたい。。
コミュニケーションを取る上で、「自分はこんな人間です!!!」という人柄を伝えることで、人間関係の構築や集団の中での自分の居場所作りになり、その方法の1つとして「意思」を持つというのが大事だと思うのです。
物事へ取り組む
物事へ取り組む際には、「意思」を持つことが大事だと思います。
仕事が一番イメージしやすいかもしれません。
お客様へ提案するための資料作成をしたとします。
その資料で使ったグラフ、情報源などは、自分が何かしら感じたから使ったはずです。
上司に「何でこれを使ったの?」と聞かれた際に「◯◯という理由で使いました!」と言えたらどうでしょうか?
上司の反応はこう言ったのを想像できます。
・こんな考えもあるのか!
・待てよ、✖️✖️という視点が欠けているから上手くよ!
上記の例で言うと仕事をする上で「意思」を持つことで「学び」という点に繋がると思います。
他にも、「人を動かす」と言うのに繋がるケースだってあると思います。
仕事に限らず、休みの日にやっていること、食事の内容、など普段の日常生活において実際に取り組んでいることに「意思」を持つことで省けることがあったり、別の方法が見つかったりすると思うんですよね。
他にも「自分軸」、「判断軸」が見つかることにもなるでしょう。
私たちが取り組んでいることは、機械的にやろうと思えばやれてしまうのですがそれだと「目的」と「手段」が逆転する現象に陥ってしまうと思うので、「意思」を持つことは大事だと思うのです。
「意思」を持つにはどうしたら良いの?
私自身を振り返ってみると言葉を発したり、行動している時点で何かしら「意思」があると思います。
それを言語化する力がないため、「何となく」と表現してしまうケースがあると思うのです。
そこで、言語化するにはどうしたら良いのか?を考えてみたいと思います。
・「何故そう思ったのか?」、「何故その行動を取るのか?」といった具合に「何故?」と自分に問う。
・言葉を発したり、行動したりした後に振り返る。
→そう思った、行動した場面を思い出す。
これらをやる際に、「上手く文章にまとめようとせず、文字にする」と言うのがポイントだと思います。
そのことで、情報源となる頭に浮かんだ単語、文章を書き出せるからです。
その後に文章へとまとめることで、自分の「意思」が見えてくると思います。
最後に:自分に問うことは筋トレと同じ
直感、「何となく」で選ぶことで自分の感性を磨いたり、自分のコンフォートゾンを抜け出し新たな経験・刺激を得られると思うので、全部が全部、「何故?」と問うことはしなくても良いと思います。
それでも、どこかで自分に対して問うことは大事で、それが今回お話ししたコミュニケーションや物事へ取り組むときにつながると思うのです。
自分への問いというのは、答えが出ず辛い思いをすると思いますが、これは筋トレと同じだと思います。
自分へ負荷をかけることで、筋肉がつきその負荷に耐えうる体になっていく。
その過程と同じだと思うので、日々1回でも良いので自分へ問いを立てていくことで、自然と言語化できるようになり自分の「意思」を表現できるようになるのではないでしょうか?